プロローグ

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プロローグ

「…どうしてこんなことに」  はぁ、と私はため息をもらす。 「どーしたの、明子? 暗ーい顔しちゃって」  他でもない、その原因はニコニコとご機嫌だ。  その証拠に、見上げる空は曇一つない青空。曇っているのは、私の心だけ。 「…なんでここに居るのよ」 「だってキャンディ、心配だったから」 「心配…?」 「明子が、学校でイジメられて、独りぼっちになっていると可哀想だと思ったから。だから、付いてきてあげたの。偉いでしょ?」  胸を叩いて誇らしげに言われ、私は絶句する。  確かに…私は友達が決して多くはないけれど、別にイジメまで受けているわけでは…。 「いーの、いーの。隠さなくても。キャンディは、何でもお見通しなんだから」 「…と、とにかく…今日はお家に帰りなさい。なるべく早く帰るから、良い子にして待っていて…」 「えー? いやだよ、つまんない、退屈ぅー」  そっちが本音か…。 「明子、お昼まだでしょ? どこで食べる? 中庭は人が多くて嫌だから…屋上とか?」 「屋上なんて、鍵かかってるわよ…ってキャンディ、待ちなさい」 「問題なーい、問題なーい。一度はやってみたかった、屋上ランチ、イエェー!」  廊下を駆け出す小さな女の子に、行き交う全ての生徒が振り返り、追いかける私を見る。  気まずさと恥ずかしさで、怒鳴ることもできず、私はひたすら俯いて小走りについていくしかなかった。  彼女の名は、キャンディ。  雨の日に、私が拾った、女の子だ。  本当の名前を聞いても、分からない。住所を聞いても、分からない。正確な年齢も、分からない。通っているはずの学校も、『キャンディ』という呼び名以外、まるで分からない。  迷子の子猫のような女の子。さしずめ私は、犬のお巡りさんだろうか。  ただ、拾った以上は私もワンワン泣くわけにもいかず、キャンディもキャンディで、分からないというよりは、言いたくないといった態度である。  独りぽつんと、雨の中をずっと佇んでいた彼女を放っておけなくて、家に入れたのがはじまり。  嬉しい時は晴れた空のようにニコニコと明るく元気だが、悲しんだり怒ったりすると、雨のように手がつけられなくなる。  なぜ、独り雨の中に居たのか、未だに分からない。  しつこく事情を聞くと、大雨警報のように顔を曇らせるので、深くは追求しないようにしてきた。  どんな理由にせよ、小さな女の子が親元を離れて、私にすがりついているのだ。ただの家出とか、そういうレベルでないのは確かだろう。  私も自分なりに、失踪届けや捜索願いなど、該当するような届出がないか警察に調べてもらったが、この付近でそういった届けはないと言われた。  もちろん、キャンディを警察に保護してもらおうとしたこともあったが、キャンディがそれを嫌がったので、現状、彼女は私の家に居ついている。  一緒に暮らし始めておよそ一ヶ月。  最初のうちは、今にも雨が降り出しそうな不機嫌さでも、なんとか私の帰りを待ってくれていたが…休日明け、とうとう「一緒に学校に行きたい」と言い出したのがキッカケだった。ちゃんと「ダメ」だと言ったのに、効果がなかったらしい…。  屋上。  どうやってキャンディが、南京錠を開けたのかは検討もつかない。  開け放たれた屋上への扉を見て唖然としたが、中に入ると一面の空。晴れ渡る青空。  風が、吹いている。 「見晴らしがよくって、気持ちいーね」  柵に顔を寄せて、街を見下ろすキャンディ。私は一緒に並んで、ついつい同意してしまった。  キャンディは笑う。  油断すると次の瞬間には雷が鳴る笑顔。  けれども、今はその心配もない。  キャンディも、今は心配事を忘れているように見える。  私も…まんざらではなかった。  キャンディが家に来てから、彼女の世話を焼きっぱなしで少し疲れていた、というのもあるけれど…。  学校にいても、教室にいても、何も楽しいことなんてなかったし、友達も居なかったのは、本当のことだ。学校でも、家でも、独り。独りで居ることに慣れていたつもりだけど、実際のところ、それはただの強がり。  家族が居る、当たり前の生活。  クラスの集団の、当たり前の生活。  そんな、当たり前を目の前で見せ付けられて、その輪に入ることの出来ない寂しさは、慣れられるようなものじゃないし、慣れようもない。  何もされなくても、自分がここに居てはいけないような気にさえ、させられる…。  キャンディには、そんな私の心を、見抜かれていたのかもしれない。  彼女について、詳しい事情なんて何一つ分かっていないけれど…ただひとつだけハッキリしていることがある。  彼女もまた、独りぼっちだということだ。  独りで見る空と、一緒に見る景色は、また違って感じられる。 「…ありがとう、キャンディ」  少女は悪戯に笑う。 「しょーがないな、明子は。そこまで言うなら、これからもキャンディが一緒に学校に行ってあげる」 「ちょっ…誰もそんなこと言ってない!」  天高く、少女の笑い声が届く。  これは、独りぼっちの私と、雨のような独りぼっちの、物語。
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