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「ご、ごめん、おじいちゃん。私…」
「明子か? 大丈夫か? とにかく、安静にして休んでいなさい。必要なら、医者を…」
「だ、大丈夫だから…ちょっと頭をぶつけただけで…ごめんなさい、心配をかけて」
「そうか。くれぐれも、大事にしなさい」
「は、はい…。ありがとう、おじいちゃん」
「あぁ、それから…」
「え?」
「ずっと心配していたんだが…久しぶりに、お前の元気そうな声が聞けた気がする。いいお友達が出来て、良かったな」
「あ、あはは…」
「外国の方か? 日本語がとても上手だから、ハーフかな? とにかく、キャンディさんにもよろしく。また電話する」
「う、うん…ありがとう」
電話が切れると、私の心の電池も切れてしまって、その場でしゃがみ込んでしまう。
「何してるの?」
その原因の張本人は、さっきの電話とはかけ離れた声色で、私を見下ろしている。
「キャ…キャンディ…」
言いたいことが山ほどありすぎて、何から言えばいいか分からず、私は口をパクパクするしかなかった。
「明子、変な顔ー」
怒ればいいのか、困ればいいのか、恥ずかしがればいいのか、ますます困惑するばかりで、うなっている私を見てキャンディは面白がるだけ。グレイの鳴き声も、キャンディと同調しているように聞こえる。
「と、とにかく…洗濯物」
ひとまず状況を整理しようと思い、私の中の優先順位の第一に輝いたのは…悲しいことに、染み付いた習慣だった。
市内のマンション暮らしのため、洗濯は早朝ではなく、学校から帰った後にしている。
この季節、夜の訪れは遅くなった。紅く染まる澄み切った空を見上げ、私は深呼吸する。
雨の匂いは、今のところしない。
キャンディと暮らし始めてから、急な雨にも慣れてしまった。どんなに上機嫌に見えても、突然、雨のような悲しみに襲われる日もある。小さな女の子の心は、なぜか空模様と同調している。
それは私だけが知っている秘密であると同時に、私だけが錯覚している偶然かもしれない。
でも、グレイと名づけた雛鳥の世話を焼いている彼女の横顔を思い出し、空の匂いを知る。
紅く満ちてゆく街が、遠い。
でも、空はこんなにも美しい。
彼女と出会って、何度も繰り返して空を見ているうちに、私の心もまた、空模様のように変わっていた。
雨の気配に心配する代わりに、紅く晴れた空に私は安堵する。
「…洗濯物もあることだしね」
泣かせるつもりはないが、あまり刺激して機嫌を損ねると、いつまた雨が降るとも限らない。
それに、よくよく考えれば、私がベランダを開けっぱなしにしていたのが発端。頭をぶつけたのも、自分の失敗。
キャンディのことをどう説明したらいいのか、追求されたらどうしたらいいのか…そんなことを考えると、思考が行き詰ってしまう。そんな、私の後ろめたさが、そもそもの原因だ。
キャンディは、雨の日に私が拾った、女の子だ。
まるで犬か猫のような表現だが、他に言いようがない。キャンディという名前以外、何も分からない、何も教えてくれない。それが彼女。
警察に届けられるくらいなら、自分から出て行く。そういう、子である。
よほど、自分の家に帰りたくないのか、それともどこかの施設に預けれたくないのか。
一言でも「出て行け」と言えば、彼女はあっさりとそうするだろう。いつも、どこかそんな気配を漂わせている。懐いているようで、絶対に踏み込ませない境界線を、必ず敷いている。不用意に踏み込めば、二度と許さない。時々、そんな目をする。野性の、肉食獣のように。
私は彼女を拾って以来、一緒に暮らしている。
いつかは、誰かに相談しないといけないことだとは分かっている。
その、いつか相談しないといけない相手に、キャンディが自ら名乗ってしまったので、私は混乱してしまっている。
誰も、私も、キャンディも、悪いことをしているわけではないのだけれど。
一歩間違えれば、『悪』の烙印を押される危険があるのだ。そんなつもりはなくても、人は、一度信じてしまったことを、簡単には変えてくれない。ましてや、他人事ならなおのこと。分かりやすくて、単純で、自分とは無関係であればあるほど、人は残酷になれる。私は、それを知っている。
…考えすぎかな。
少なくとも、祖父母は私や父の側に立ってくれた人たちだ。間接的とはいえ、父を責めず、私から離れなかった人たちだ。
…だから余計に、心配事を抱えさせたくもないという気持ちもある。
…つまり結局、私がどうするかハッキリ決めていなかったのが、全ての根源…という結論に思い至り、私はため息をついた。
洗濯物を干し終える頃には、あたりは暗くなっていた。
私は…どうしたいんだろう…?
時だけが過ぎて、空を見上げても、答えなんて落ちてこない。
人の気持ちなんておかまいなしに、晴れたり曇ったり、雨を降らせるだけ。
そんなキャンディを、うらやましく思う時もある。
「こんなんじゃ…どっちが拾われたのか、分からないな」
自分の迷いや情けなさに呆れながら、私は窓を閉めた。
暗いガラスに映る自分の顔が、少し笑っていることに気づいた。
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