三章 「少女注意報」

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三章 「少女注意報」

「明子ー、電話だよ」  ちょうど、洗濯物を干していた時だった。  分かっているのなら、出てくれればいいのに…とは、言えない。  キャンディは、雨の日に私が拾った、小さな女の子だ。  すでに同居を始めておよそ一ヶ月が過ぎた。頼めば電話くらいは出てくれるだろうし、どこで覚えたのか、とても流暢(りゅうちょう)丁寧(ていねい)語さえ操る。しかし、問題はそこではない。  慌てて電話を取ると、改めてキャンディに頼まなくて良かったと痛感した。 「…おじいちゃん!」  母方の、祖父からだった。  私は両親を亡くしている。母は小さい頃に亡くなって、それからは父と二人きり。  去年、事故で父も亡くしてからは、独りきりだ。  父の血縁者とは会ったことがないが、母方の祖父母とは面識がある。とはいえ、それも母が生きていた頃の話。疎遠(そえん)だった祖父母だが、父を亡くしてからは、形式上、私の保護者になっている。  永く、会っていなかったため、あまり関係は良好とは言えない。とはいえ、父も母も居ない今となっては、どう接していいのか分からないのは、お互い様のような気がする。父の起こした事故の事後処理を引き受け、私の保護者となり、一度は引き取ろうと申し出てくれたのだから、私も悪くは思っていない。時々、私の様子を心配して、電話をくれたりする。私も、定期的に手紙を送ったりしている。 「調子はどうだ? まだ夜は冷えるから、風邪はひいていないか?」 「平気です」打ち解けたいとは思うが、なれなれしいとも思われたくないので、つい敬語を使ってしまう。「おじいちゃんは大丈夫? おばあちゃんも、お元気?」 「明子ー、ベランダ開けっ放し!」  ふいに、キャンディの声が響いた。 「明子ー、聞いてるの! ベランダ!」 「…ちょ、キャンディ…」 「どうかしたのか、明子?」 「な、なな、何でもないよ、おじいちゃん。ちょっと、お友達が居て…」 「コラーッ、明子!」 「…わ、分かってるから、あんまり大きな声出さないでよ…というか、それくらい手伝ってよ…」 「何言ってんのよー。キャンディだって、グレイのご飯あげてるところなんだから、手が離せないの。窓くらい、電話しながらでも閉められるでしょ? 早く!」 「明子、どうした? 大丈夫なのか? 忙しいのなら、後で電話するが…」 「ご、ごめんさない、おじいちゃん。そんなつもりは…」  ベランダに戻ろうとして、振り返った瞬間。  私は、リビングのドアに頭から激突してしまう。  …また、やった…。  昔からこうなのだ。慌てると、ろくなことにならない。というより、単なるドジなのだが…。  直そうとは思っていても、気がつくとこうなっている。 「~~~っ」  驚きと、痛みで、一瞬意識が飛んでいた。  例えるなら、カキ氷を食べた時と同じ感覚。  きぃんと頭がしびれ、衝撃で(ひざ)を突いたまま、立ち上がれなくなってしまう。 「明子、どうした? おい、明子!」 「お、おじいちゃん…」  早く電話に出ないと…。それとも、ベランダが先か…。  しかし、私の手の中には、すでにケータイがなかった。 「ごめんなさい、おじいちゃん。明子ちゃん、ちょっと転んじゃって…」  それは、一度も聞いた事のない、耳を疑うほどの可愛らしい声。  甘く丁寧、それでいて控えめ。なのに、親しみがあふれている。  一緒に暮らしていても、そんな風に語られた記憶が全くなかったので、誰か別人のものかと錯覚したが…まぎれもなく、それはキャンディの声だった。 「キャ、キャンディ…!」  痛みも忘れ、驚愕(きょうがく)する私を、少女は目線だけで「さっさと窓を閉めてこい」と(うなが)す。  しかし、このまま放っておくのも…。 「そ、そうか…。それで、明子は大丈夫なのか?」 「はい。少し頭を打って、痛そうにしていますけれど…大丈夫だと思います。ご心配おかけしないように、後できちんと明子ちゃんから、おじいちゃんにご連絡差し上げますね」 「とにかく、無事なら良かった…。それで、君は?」 「私、キャンディと申します。明子ちゃんにはいつもお世話になっています」  …言いやがった。  私が急いでベランダの窓を閉めて戻った時には、すでにそんな会話が交わされていたのだ。  これ以上喋らせてはまずい…。  そう、とっさに判断した私は、キャンディから電話を(うば)い取った。
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