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四章 「少女注意報~傘の用意を忘れずに~」
「その子は…?」
祖父は驚いていた。
目を見開いて、病室におずおずと入ってきた少女を見つめている。
予想はしていたが、それ以上の驚きぶりに、私は困惑した。彼女のことを紹介するつもりが、うまく言葉が出てこない。
「私、キャンディ。明子のお友達。よろしく、おじいちゃん」
つい先ほどまで、病院の屋上で、無言で立ち尽くしていたとは思えない、可憐な笑顔。愛らしい言葉遣い。
険しく凝視していた祖父の表情から、ふいに緊張が解ける。
「あ、あぁ…。前に電話に出た子だね? ひょっとして、君がわしを介抱してくれたのか?」
「うん…」少し恥ずかしそうに、しかし気遣いに満ちた目で、キャンディは祖父を見上げる。「前に明子から、写真を見せてもらったから、もしかしてと思って…。夢中だったけど…お怪我、大丈夫? キャンディが余計なことをして、悪化したりしていない?」
「心配は無用だよ」祖父は笑った。「それにしても、キャンディちゃん…と言ったね? それが…君の名前なのかい?」
「そうだよ。可愛いでしょ?」
「ああ…。だが、ひょっとして、君は…」祖父はふいに、目を閉じて、頭を横に振る。「いや…何でもない。そんなこと、あるわけがない…」
「…おじいちゃん?」
様子が変だ。
キャンディや私に大して怒ったり、機嫌を損ねたりしているわけではないようだが…。
再び祖父はキャンディを見ている。とても優しくて、悲しげな表情。視線を合わせようとして、そらしている。かすかに、その目が涙で濡れていることに、私は気づいた。
一体、どうしたのだろう?
「明子」
ふいに、祖父は私に向き直った。
「は、はい…!」
あまりに唐突だったので、私も恐縮してしまう。無茶な話をした直後だ。怒られるものだとばかり、私は思っていた。
私が、雨の日に、キャンディという名の少女を拾ったこと。
彼女と一緒に暮らしていること。
いつかは…彼女を親元や施設か、あるいはどこかに返さないといけないとしても、彼女が望むまで、私の家に居させてあげたいということ。
じっと、黙って私の話を聞いていた祖父だったが、とにかく一度、キャンディと会って話をしてみたいと言った。雨の中、階段で倒れた祖父を介抱したのも、キャンディだ。その件のお礼も含めてというので、私は彼女を病室に呼んだのだが…。
「…まったく、お前はよそ様の子をペットか何かと思っているのか!」
「ご、ごめんなさい。でも、私…」
ひぃ、と目をつぶる私の耳に、笑い声が飛び込む。
「…と、言いたいところだが…それくらいは、お前も分かっているのだろう?」
「…おじいちゃん?」
祖父はそう言って、キャンディに視線を戻す。
「ア…いや…キャンディちゃん。少しだけ、明子と二人きりにさせてくれないかな?」
「いーけど…。明子のこと、怒らない?」
「もちろん」
キャンディを穏やかな目で見送り、祖父は私に向き直る。
呆れたような、困ったような、顔で、深くため息をついた。
「…お前は、日ごろからわしらに気を遣いすぎた。もっと甘えてもいいと、常々思っていたが…まさか、こんなとんでもないおねだりをされるとは、想像もしていなかったよ」
「すみません…」
「謝るな。それよりも、本当に警察に届けなくていいのか?」
「うん…。何度か、そうしようとしたけど、キャンディが嫌がって…。警察が嫌いというよりは、本当のご両親かご親戚、あるいはどこかの施設に、戻りたくないみたい。警察に任せてしまえば、どこかに独りで行ってしまいそうで…」
「捜索願や失踪届けは?」
「私も調べてみたけど、該当するような子供は居ないみたい。特にこの近辺では、そういった届出はなかったわ」
「そうか…。まぁ、わしのほうでも調べてみるが…お前は、本当にそれでいいのか?」
私は言葉を選ぶように、膝に抱えたバスケットケースの中を覗く。
中では、生後間もなく、親兄弟から捨てられた、ツバメの雛が眠っている。
「良いか悪いかは、分からない。この子を拾った事だって、同じ。人間と、ツバメを一緒にするつもりはないけれど…放っておくことなんて、できなかった。だから…拾ったからには、ちゃんと面倒を見るし、できるだけのことはしてあげたい」
「まぁ…お前のわがままを、出来ることならわしも叶えてやりたい。今までろくに、孫のわがままを聞いたことがないからな。一度目は、お前が独りで家に残って暮らしたいと言ったこと。二度目が、これだ。お前のわがままは、どれもこれも重たいよなぁ…」
「うぐ…」
「…とにかく、あの子にもあの子の事情があるのは確かだ。親元に返すのが一番だと、昔のわしならそう言っただろうが…お前の抱える雛のように、みんながみんな親元にすんなり帰れるとは限らない。再び放り出されて、傷つけてしまうだけかもしれない。わしらはそれで良くても、当人にとっては迷惑なだけだ。命の危険にさらすだけかもしれん」
「…うん」
「わしも、無責任に放ったらかしにして、後悔するのは二度とゴメンだ。だから、お前たちの生活に口出しはさせてもらう。…それでいいなら、好きなようにしなさい」
「いいの?」
「まぁ…不安や不満はあるがな。とはいえ、あんな子供を放り出すわけにもいかんだろう。それに…どんな事情があるにせよ、悪い子ではないようだ」
「…うん」
「……」
ふいに、祖父は押し黙ってしまった。
ものすごく遠い目で、キャンディが出て行ったドアを見つめている。
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