飛行機雲は世界のどこかに続いている

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 キーンコーンカーンコーン…… 「――あ、ヤバい」  予鈴だと思ったチャイムが5時限目開始の本鈴だったことに気付いたのは、校内に戻る扉が固く施錠されていたからだ。  右に、左に、何度かドアノブをガチャガチャやるが、開放時間を過ぎた鉄の扉は、無情にもビクともしない。  閉め出された――。  しまった、というチリチリした焦りが背中を走ったのも束の間、どうしようもないと開き直る。どうせ放課後には、吹奏楽部員が個人練習にやってくる。それまで、午後はサボりかぁ。 「ウソ、開かないの?」 「うわっ」  てっきり独りだと思っていた空間で、背後から声を掛けられ、踵が浮いた。耳馴染みのないアルトソプラノ。けど、容貌には見覚えがある。 「あ……えっと、櫻井(さくらい)?」  油断していたとはいえ、情けない驚き顔を同じクラスの女子に見られてしまった。バツの悪さを、何とか誤魔化そうと試みる。 「何よ」 「いや、屋上に居るなんて珍しいなと思って」  この4月のクラス替えで同じクラスになった彼女――櫻井流那(るな)は、冷めた眼差しで僕を見上げている。別に美人でも可愛らしくもない、中性的な面長に、細い二重。前髪をセンターで分けたセミショートは、似合っているとも似合ってないともいえない。  つまりは、僕に取って彼女はタダのクラスメートの1人であり、どうでもいい程度の関係でしかない。なのに、そんな存在の、なぜフルネームまで把握しているかと言えば、彼女は学年1位の秀才だからだ。廊下に貼り出される学期末考査の成績は、いつも2位以下に頭1つ抜きん出て、ぶっちぎりの一番だ。  そんな訳で、彼女の名は校内に知れ渡っているのだ。 「そりゃ、初めて来たもの。そんなことより、この扉、いつ開くの?」 「放課後。今日は6時限授業日だから、3時かな」  慌てるかと、ちょっと意地悪な予想をした。  しかし彼女は、左眉を微かに動かしただけで、苦笑いなんか浮かべて見せた。 「あーあ。仕方ないなー。松ちゃんの顔、最後に見たかったんだけどなぁ」  松ちゃん、とは生物の松坂先生のことだ。細身の高身長で、確か20代後半の独身。目鼻立ちのスペックは決して高くないものの、油ぎった中高年ばかりの教員の中では爽やかな部類なのだろう。密かに女子に人気があることは知っている。  だけど、僕が気になったのは『最後』というワードだ。 「櫻井、最後って?」 「榎元(えのもと)。あんた、屋上(ここ)よく来るの?」 「えっ、あ、まぁ……たまには」  スルーされた。しかも、教室の中で、ほとんど話したこともないのに、『あんた』なんて呼ばれている。彼女はきっと、僕に対して無駄に緊張なんてしないのだろう。 「じゃ、どっか日除けできる場所、ない? 直射日光、キツすぎ」  ほとんど雲のない水色の上空を指し、忌々しげに目を細める。  日焼けを気にしてる? 何だ、フツーの女子っぽい所もあるんじゃないか。  ……なんて嘲笑うのは、一方的に抱えた卑屈な劣等感の反動かもしれない。 「……じゃあ」  落ち着きのない腹の内を気取られないように踵を返して、僕はさっきまで(うたた)寝していた給水塔の裏に誘う。数歩遅れて、足音が付いてくる。 「あ、ちょっと涼しい」  日陰に入り、給水塔を囲むコンクリートに腰掛けると、櫻井は心地よさ気に「うーん」と伸びをした。  猫みたいだ、と思いながら、少し離れて僕も座る。  二重になったフェンスの向こうに、校庭のポプラ並木の梢が覗く。そろそろ綿毛が飛び始める季節だ。 「榎元。いつも、ここに来てるの?」  視線の先にポプラを見つけた彼女は、暫く眺めていたが、やがてポツンと質問を投げてきた。 「いつもじゃない」  反射的に否定した。実のところ、雨降り以外は昼休みを屋上で過ごしている。彼女の言う「いつも」は、僕の「実態」とニアリーイコールだ。 「でも、昼休み、教室にいないよね」  何でだ。僕の存在を、気に掛けていたとでも言うのか? まさか。 「いいだろ、どうでも」 「……そうだね」  必要以上に、つっけんどんな口調になってしまった。彼女は気まずげな相槌を呟いた。  近くも遠くもない2人の間を、スウッと温い風が吹き抜けていった。
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