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その後の1時限は、どうでもいい話をポツリポツリと交わした。好きな本とかテレビとか、音楽のことなんか――。
もし、櫻井が転校しなければ、僕らは友達になっただろうか。
いや。きっと、それはない。これからも顔を会わせるクラスメートに、ここまでリアルな身の上をバラすことは有り得ない。
第一、転校がなければ、彼女だって屋上に来ることはなかったのだから。
3時が近い。
まったりとした、こんな心地好い時間なら、もっと続いてもいいのに。
「あーあ。『サザエさん症候群』だわ」
腕時計に目を落とした櫻井は、腰掛けていたコンクリートの縁からタンと降りると、大きく伸びをした。その仕草は、やっぱり猫みたいだ。
「何それ。サザエさん?」
尋ねながら、僕も立ち上がる。彼女を真似て、うーんと背筋を伸ばした。思ったより気分がいい。
「夏休みの最終日の気持ち、みたいなものよ」
「ああ……何となく分かるな」
キーンコーンカーンコーン……
6時限目の終鈴が、非日常の終わりを告げる。
過去にも屋上に閉め出された経験から、僕はちょっとばかり予感があった。欠課を咎め立てるために、開錠と同時に先生がやって来る可能性が高い。
僕はともかく、品行方正な櫻井まで屋上でサボってたとバレるのは、マズイだろう。
「3時だ。扉が開いて、もし先生が現れたら、僕が引き付けるから、その隙に行けよ」
「やだ。最後にカッコつける気?」
何を今更……とでも言いたげな眼差しが見上げる。慌てて否定した。
「違うって。一緒にサボってたなんて、ヘンな噂になるだろ」
「あたし、気にしないけど」
そりゃ、お前は転校するんだからな。
言葉を探して見詰めていると、唐突にニコッと笑みを残して、背を向けた。
「ま、餞別代わりに恩を貰っておくわ。じゃ――いつか、世界のどこかで会おうね」
「あ、ああ……」
給水塔の反対側――ドアが開いた時、一気に駆け出せる死角の位置まで隠れる後ろ姿を眺めて、胸の奥が少しだけ締め付けられた。
明日は土曜日だ。来週の月曜日、登校しても、もう彼女はいないのか。
「榎元っ! いるのかぁ?!」
担任の馬嶋だ。体育教師の面目躍如、馬鹿でかい怒声が、こだまするほど響き渡った。
「あー、すみませーん。寝てたら、閉め出されましたぁー」
頭を掻きながら、殊更にゆっくりと歩き出す。櫻井が、すり抜けられるように、十分な距離を稼ぐのだ。
「お前は、まぁたか!! 気がたるんでる証拠だっ! 欠課の2時間分、たっ……ぷり課題を出してやるからな!」
「えー、勘弁してくださいよぉー」
ズカズカと足音を立てて近づいてくる馬嶋の背後を、サァッと駆けていく櫻井の姿が見えた。あぁ、やっぱり彼女は猫みたいだ。
「そういえば、お前、櫻井を見なかったか?」
馬嶋に首根っこを掴まれて、引きずられながら、僕はニヤリと笑って、空を見上げた。
「あー、似た顔の猫なら、飛行機雲を追いかけて行きましたよ」
一瞬足を止め、絶句した馬嶋は、「まだ寝惚けてるのか」と呟くと、僕の腕を掴み直して、屋上を後にした。
鉄のドアは、いつもより少しだけ軽やかな音を立てて、閉じた。
【了】
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