武士道

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武士道

暗雲立ち込める夕暮れの丸の内。武蔵は緊張感のある面持ちでオフィスビルを出た。 998勝0敗。 武蔵のこれまでの戦績である。あと2勝で、目標の1,000勝に達する。これまでの道のりは決して平坦なものではなかった。敵の切っ先が眉間をかすめたこともあった。それでも、ここまで無敗記録を続けてこれたのは、偏に武蔵の勝負強さ故であろう。 武蔵が商業ビルの角を曲がると、直進する道路の背後から殺気を感じた。振り返ると、スーツ姿のビジネスマンである。梅雨の中頃の蒸暑い気温にも関わらず、ぴったりとネクタイを締めて、頭髪はワックスで綺麗に撫でつけられている。これは、気合い十分といった面持ちだった。右手には重厚な黒い布張りの傘でをステッキのようにぶら下げている。相手にとって不足はない。武蔵はビジネスマンに向かって一礼する。相手もまた武蔵に向かって礼をする。 武蔵の999戦目が火蓋を切った。武蔵は左腰にさしたビニール傘を抜いて、切っ先を前方に向ける。互いに蹲踞。ゆっくりと腰を落とし、足の指先で体重を支える。傘の重さと自らの体重とが平衡を保つ。その瞬間に、武蔵は集中力はピークを迎えた。傘が身体と一体化するような感覚を得る。 武蔵は相手の男を睨む。相手の傘は100cm強、男性用傘のスタンダードとしては長い方だ。骨は恐らく鉄製で、黒の厚い布張りであることを考えると、かなり重いはず。男の体格は傘とバランスの取れた大きな身体である。 一方の武蔵は90cmのビニール傘。骨はカーボンファイバーである。傘の長さ、重さともに相手の男に分がある。しかし、武士道とは力が全てではない。速さ、柔らかさのバランスが重要なのだ。武蔵の傘は、数多の闘いを共に切り抜けてきただけあって、ぴったりと手に馴染んでいる。
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