3.

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ギターの音が止まる。 「本宮サン……ごめん、俺、その」 気持ちを押しつけるつもりじゃなくて、と栗橋は続けた。 アンタに笑って欲しくて。 オリブルの曲なら、喜んでくれるかと思ったから。 彼らしからぬ動揺した素振りで、栗橋はボソボソと言葉を紡ぐ。 陽太は、急いでごしごしと涙を拭った。 これでは、何も知らない栗橋に、ものすごく失礼だ。 「違くて、あの、俺、やっぱり今頃、さっきの、怖かったなって…」 だから、ごめん、もう家で休むから。 「助けてくれて、ありがとう。送ってくれたのも、本当に心強かった」 陽太はくるりと身を翻して、マンションのエントランスに駆け込んだ。 逃げるように帰って来てしまったが、さっきの弾き語りで、栗橋がものすごく真剣に陽太を思ってくれているのが痛いほど伝わってきた。 同じ音楽に関わる相手といっても、鷹城よりはずっと、栗橋のほうが陽太には近い存在だろう。 普通に日本の家庭で育って、普通に学校に通っている。 数学が苦手だとか、先生がウザいだとか、そんな他愛のない話も、歳が近いせいもあるだろうけれど、共感できる相手。 想いを寄せる相手に、その想いを言葉で上手く伝えることができないシャイなところも、日本人男子ならではのものだ。 栗橋の想いに応えることができるなら、きっとそのほうがずっと、陽太にとっても楽なのかもしれない。 彼は、陽太が鷹城と同棲までしていることを知っていながら、自分のほうを向いてくれるまで待つ、と言ってくれた。 急がない、ゆっくりでいい、と。 こんなに、重たくてしんどい気持ちを、鷹城に押しつけるぐらいなら、いっそ。 いや、それでは栗橋に失礼だ。 鷹城がダメなら栗橋に、なんて。 そんな思い上がったこと、最低だ。 本当に女々しくて情けなくてどうしようもない。 混乱する自分の思考を、陽太は頭を振って断ち切ろうとした。 彼は、疲れているのだ。 親元を離れ、新生活に飛び込み、三ヶ月。 どんなに大好きな相手との新生活とはいっても、いや、大好きな相手だからこそ嬉しくて楽しくて気づくことができなかったのかもしれない。 それでもやはり、環境の変化は少なからずストレスをもたらすものなのだということに。 そこへ、こんな精神を痛めつけるような猥褻事件だ。 ピンと張りつめて今にも切れそうだった細い糸を、大きな鋏で乱暴にばさりと切ってしまったようなものだ。 でも、陽太自身は。 たいしたことはなかった、すんでのところで助けて貰ったわけだし、ちょっと怒鳴られて、見たくもない他人の下半身を見せつけられて、顎を掴まれたぐらいだ。 たったそれだけのことなのに、なんでこんなに疲れきってしまったのだろう。 そう思っている。 陽太は、せっかく買ってきたカップ麺を床に放り出したまま、リビングのソファに這い上がるようにして横になる。 そのまま、意識を失うように眠りに落ちた。 酷く疲れていて、もう何も考えたくなかった。
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