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最後にハグさせてくんねえかな?
そう言った栗橋に、陽太は少し困って鷹城に目を向ける。
鷹城は、僅かに眉間に皺を寄せたものの、スッと目を逸らしてくれた。
栗橋への餞で、そのハグを見逃してくれるつもりらしい。
今どきの男子高生は汗臭いなんてものとは無縁なのか、栗橋の腕の中は爽やかな柑橘系の匂いがして、なんとなくアオハルっぽいむず痒さを感じた陽太だったが。
ギュッと力を込めたその腕が、緊張しているのか微かに震えていることに気づいて、彼までもドギマギしてしまう。
腕が離れる瞬間、栗橋は陽太にだけ聞こえる程度の微かな音量で囁いた。
「もう一度、必ず、アンタに告白しにくるから」
覚悟しといて。
そして、彼は、未練を断ち切るように腕をほどき、くるりと身を翻して足早に去って行った。
その背中が見えなくなるまで、一度も振り返ることはなかった。
栗橋の演奏はすごくかっこよかったし、アオイが飛び込みで歌いたくなるほどなわけだし、どうやら鷹城もはっきりとは言わないけれどもその実力を認めているような感じだし、あのライブの盛り上がり方を見た限りは、きっと成功するのではないかと思う。
でも。
陽太は、いつものように鷹城と手を繋ぎ、マンションまで帰る途中、そっと尋ねた。
「栗橋君がオリブルの事務所からスカウトされたのって…」
「ん、まあ、いい素材がいるって社長に連絡入れたのは、俺」
初めてライブ見たとき、こいつらは売れるって思ったんだよな。
だから、二度めのときに、見に来てみるよう言ってみたんだけど。
Oriental Blueの所属している芸能事務所は、現在は、鷹城とアオイの叔父さんが社長をしている、業界では老舗の大手だ。
オリブルの絶大な人気も手伝って、業界内でもかなりの勢力を誇っている。
その影には、鷹城の力が大きいことは確かだ。
彼の作る曲が、オリブルを国民的ロックバンドに押し上げ、他の何人かの新人アーティストたちを音楽チャートの常連になるまで導いてきたのだ。
だから、事務所の社長である叔父さんは、鷹城の音楽センスとプロデュース力に絶対の信頼を置いている。
その彼に推薦されたら、間違いなくスター候補として獲得に乗り出すわけで。
それで、あのとき、アオイも来ていたのか。
陽太は納得した。
自分の後輩になるかもしれない将来のライバルを、社長直々か事務所の人だったのかはわからないけれども、一緒に偵察にきたのだ。
「栗橋のギターは間違いなく才能もカリスマ性も問題ない…あいつはたぶん売れる」
顔もいいし背も高くて、あの無愛想で何を考えてるのかわからない寡黙な雰囲気といい、見た目だけでも特に女性ファンの心をガッツリ掴むはずだ。
それに加えて確かなギターの腕があるから、耳の肥えたロック好きな男性ファンも魅了することができるはず。
だから、たとえ、他のバンドに引き抜かれたり、今のバンドが解散したりしたとしても、あいつならいずれどんな形でも音楽を続けている限り、世の中に出てくるはずだ。
だけど、と鷹城は少し声を落とした。
「あのバンドの最大の弱点はボーカルだ」
高校で出逢った面子で結成したにしては奇跡的に、ベースもドラムもそれなりのセンスと実力がある。
これは実に稀なケースだ。
それなのに、バンドの顔とも言うべきボーカルがそこまでのカリスマ性を持っていない。
歌は上手いけれども、はっきり言ってしまえばどこにでもいるレベルで、これといったオリジナル要素も特徴もない。
東京に行って、全国からデビューを目指して集まってくる連中やら、デビューしたものの売れなくてくすぶっている連中と切磋琢磨して、脱皮できるかどうかが肝になる。
だから、もしかしたら、あいつとあのバンドのメンバーは、近いうちにキビシイ選択を迫られることになるかもしれない。
仲間を切ってプロになるか、仲間を捨てられずにアマで終わるか。
「キツいことを言うと思われるかもしれねぇけど、俺は社長にボーカルを変えることを初めから条件にしろって言ったんだけどな」
みんなで東京に出て行って、途中で一人だけ外されるのはやりきれないはず。
栗橋たちがボーカルを変えるぐらいなら東京には行かない、とごねたのか、或いはあのボーカルでもなんとかなると社長が判断したのか、そのへんはわからないけれども。
「いずれにしろ、あいつらがどうなるかはもう、あいつらの頑張りと後は運に恵まれるかどうかにかかってくる」
時流に乗って羽ばたくことができるか、乗り損ねて翼を折るか。
鷹城はそう言って、陽太を覗き込むようにした。
「でも、いくら成功して君を迎えに来ても、俺の天使は俺だけのモンだよな?」
俺を見限って、若い男にいっちゃったりしないよな?
そんなことになったら、俺、あいつらを推したこと後悔しかないことになるんだけど。
冗談で言っているのかと思いきや、鷹城の顔は意外と真顔で。
なんだか必死な感じがして、陽太は小さく笑った。
「栗橋君には、あんなに自信ありげに、オレサマを超えてみせろ的な発言してたのに、今更そんな弱気なこと言うんですか」
鷹城は、笑う陽太の肩をぐいっと引き寄せて抱きしめた。
「君は俺の『アキレスの踵』だから、な」
俺がどれだけ無敵な男でも、君を失ったら途端に最弱に成り下がるから。
さっきの栗橋のとはまた違う、嗅ぎ慣れた鷹城の匂いに包まれて、陽太は、そっとその腰に手を回して抱き返す。
陽太と同じ柔軟剤、同じボディソープを使っていても、同じようでいてどこか違う匂い。
その匂いが、陽太は好きだ。
どこか安心するような、全てを委ねられるような、そして何もかも許容できるような、そんな気持ちになる匂い。
「若いとかオジサンとか、成功してるとか有名だとか、そんなこと関係なく、貴方が好きです…よ?」
そう言ったら、鷹城は嬉しそうに彼を抱きしめる腕に力を込めた。
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