プロローグ

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プロローグ

バイトをしようかと思うんです、と陽太が言い出したのは、ゴールデンウィークが過ぎてしばらくしてのことだった。 親元を離れての生活も大学にもようやく慣れてきたから、せめて自分のお小遣いと食費ぐらいは自分で稼ぎたい、というのが彼の言い分で。 鷹城としては、もちろん、目に入れても痛くないぐらい溺愛している恋人と一緒にいられる時間が減るのもせつないし、バイト先で変な虫がつかないか、セクハラされたりパワハラされたりしないか、とにかく心配で仕方なかったのだけれども。 陽太に『お医者さんは例えそれが獣医であっても、人とコミュニケーションを取る仕事だから、社会勉強も兼ねて接客業を経験しておきたいんです』とキラキラした瞳で真剣に言われてしまうと、反対の言葉は喉の奥で燻ったまま呑み込まざるを得なくて。 そう言い出した数日後、陽太は、マンションの通りを挟んで向かいにあるドラッグストアでのバイトを決めてきた、と嬉しそうに鷹城に報告した。 「鷹城さんが心配するから、めちゃめちゃ近くにしておきました」 そんなふうに言って、にっこり笑うから。 「ああ、もう、かーわいいなあ、陽太は俺をキュン死にさせたいワケ?」 鷹城は、その可愛くて可愛くて堪らない恋人の小さな身体をぎゅうっと抱きしめた。 「鷹城さん、苦しい、です…って」 「Sorry…でも、君が天使すぎなのがワルイ」 ハーフだからなのか、それともそもそも日本人の父親も長身なのでその遺伝子なのか、鷹城はとにかく背が高い。 そして、作曲家というインドアっぽい仕事をしているわりに、ただヒョロリと背が高いだけでなくきっちりと引き締まった筋肉がついた欧米人的なガッチリとした骨格の身体は、出逢った頃から少しも身長の伸びなかった小柄な陽太を、そうして抱きしめるとすっぽりとくるみこんでしまう。 体積にしたら半分ぐらいしかないのではないかとすら思ってしまうほどの体格差だ。 この小さな身体で、いつも鷹城の激しすぎる愛情を懸命に受け止めてくれている。 陽太のその健気さが、鷹城にとってはまた堪らなく愛しさを募らせるというループになっているのだが。 「あー、やっぱ、こんな可愛い店員さん、マジヤバすぎ…ホントもう、お客さんにセクハラされないか心配すぎるから」 抱きしめるだけでは飽き足らず、頬擦りしてそのまま顔中にキスし始める鷹城に、くすぐったい、と笑い出しながら陽太は身体を捩った。 「俺にこんなことして喜ぶの、鷹城さんぐらいですから…そんな心配しなくてヘーキですって、もう」 顔に降っていたキスの嵐が、だんだん首筋から鎖骨のほうにと下りていくと、鷹城のアッシュグレーの髪がフワリと顔をくすぐって、陽太はとても毛並みのいい大型犬にじゃれつかれている気分になる。 昨年、受験の最中に、実家で飼っていた柴犬のタロウが老衰で天国に旅立っていったとき、鷹城が側にいてくれたおかげで、陽太はその喪失感を乗り越えることができた。 今はまだ学生だから本分を大切にするために心の内に留めているけれども、学ぶことをきちんと学び、希望の職業につけて一人前の社会人になれたら、また犬を飼いたいと思っている。 鷹城もタロウをとても可愛がってくれていたし、きっと新しく迎え入れるワンコとも一緒に散歩に行ったり遊んだりすることを楽しんでくれると思う。 その夢の実現までは、大好きな恋人が癒しの飼い犬の役割まで果たしてくれているような、そんな気になってしまうのは、鷹城に失礼なことだろうか。 恋人の美しい髪色を眺めながら、そんなことをぼんやり考えていた陽太は、いつのまにか鷹城の唇がはだけた胸元に到達していることを全く意識していなかったから。 「ひゃっ…あっ、ちょっ、鷹城さん……待って!」 いきなり、その敏感な箇所に軽く歯を立てられて、びくん、と身体を跳ねさせた。 そのまま、齧りつくように吸い上げられ、舌先と唇で捏ねるように嬲られる。 上の空だったことに勘付かれたのか、咎めるように強めの刺激がグイグイ与えられた。 「俺、帰ってきたばっかり、だから…あっ、ン……」 シャワー浴びたい、と言いたかったのに、甘い戯れから一気に激しくもたらされた快感のせいで、唇から漏れるのは、自分で発していながら何度聞いても恥ずかしくて堪らない扇情的な喘ぎ声になってしまう。 「や、あっ、ダメっ…て、たかじょ、さ……」 鷹城は、ちゅぱっ、とわざと大きな音を立てて、唇をその紅く色づいた突起から離した。 唾液で濡れているそれを、ペロリとだめ押しのように舌で舐めて。 上目遣いに、陽太を見上げた。 「ダメ?陽太、君を食べたい…俺の甘くて美味しいCutie Pieを全部丸ごと食べさせて?」 「だって、俺、汗かいてるし…」 「うん、俺のSugar Pieは焼きたてみたいな美味しい匂いがしてる」 陽太の汗と体臭の混じったエロい匂い、堪んないよ? 鼻をひくつかせて、そんなことを言う鷹城は、本当に大きな一匹の獣のようだ。 本来なら人には決して飼い慣らされないはずの、王者の風格を備えた美しい肉食獣。 灰青色の瞳が、抑えきれない欲情を滲ませて、陽太からの「ヨシ」を待っている。 その瞳にそんなふうに切望されて、「待て」を継続させ続けることなんて、獣に魅入られてしまっている陽太にできるはずもない。 「……明日も学校、だから、その…加減、して下さい、よ?」 「努力はする、けどな」 鷹城は、欲情の中にチラリと別の感情を覗かせて、そっとため息をついた。 「君はそーゆー素直なところがマジで天使すぎて、俺をどれだけ心配させたら気が済むんだろうな?」 「鷹城さん?」 「いや…そんな天使だからこれだけ俺をメロメロにしたんだったか」 君はそのままでいい。 素直で、人を疑わず、真っ直ぐで優しい。 そんな君が傷つかないよう、その優しい無垢な心が歪まないように守るのが、生涯かけて幸せにすると誓った俺の役目だから。 「陽太、愛してる」 途中で止めたその行為を再開する前に、鷹城は、愛しい恋人の唇にそっとキスをして、囁く。 「加減したいけど、できなかったらごめんな?」 先に謝ってしまえば、後はもう。 欲望の海に、二人で溺れるだけだ。
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