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「どうだ?少しは慣れてきたかな?」 夕方のドラッグストアは割と混雑している。 レジの応援が一段落したので、品出しの作業に戻ろうとした陽太に声をかけてきたのは、店長の野田だった。 野田店長は、鷹城と同い年ぐらい、つまり三十になるかならないかぐらいで、店長という立場にしてはまだ若い。 実家が大きな牧場を経営しているらしく、休みの日は家業の手伝いに駆り出されるということで、真っ黒に日焼けしたガテン系のスタイルをしている。 跡を継がないんですか?と訊いたら、俺は五男坊だからそれはないな、と笑い飛ばす豪快な感じの人だ。 「まだまだアタフタしてばかりですけど、皆さん優しいのでなんとか…」 「本宮君は一生懸命だから教えるのも気持ちいい、ってみんな口を揃えて言っててな…君を採用した俺もなんだか株が上がった気分でホクホクさせて貰ってるよ、いやあ、ありがとう!」 その力強い手でバシバシと肩を叩かれて、野田にそんなつもりはまるでないのだろうけれども、陽太はよろけそうになるところを必死に踏ん張って耐えた。 「なんか困ったらすぐ相談するんだぞ?悩んで辞めるとか無しな?頼んだぞ?」 「はい、ありがとうございます」 とりあえず、もうちょいその肩を叩く手の力弱くできませんか…というのが目下の一番の悩みです、とは言えずに、陽太はやや引き攣った笑顔でそう答えた。 野田店長は、そんな陽太の笑顔でもとにかく笑顔が見られたことに満足したのか、嬉しそうにデレッと破顔する。 そして、バッチンと音のなりそうなほど派手なウインクを一つ残して、去って行った。 行く先々で「店長」「店長」と声をかけられ、あっちでもこっちでも仕事の指示を仰がれている。 野性味溢れる見かけと違い、若くして店長になるだけあって有能な人らしい。 バイトやパートたちからも、かなり慕われているのがわかる。 バイトを始めてまだ二週間ほどだし、陽太にとっては初めてのバイト先なので他がどうなのかはよくわからないけれども、そういう店長の元だからか、このお店の人間関係がかなり良好なのはなんとなくわかってきて、少しホッとしていた。 友達の話を聞いていると、バイトを辞める原因は大抵人間関係が合わないとかだからだ。 鷹城の心配を押し切ってせっかく始めたバイトだから、あんまり短期間で辞めることになるのもなんだか情けないし、どうせ働くなら居心地のいい職場がいいに決まっているわけで。 せっせと品出しにせいを出しながら、まだ覚えていない商品の配置をなるべく頭に入れるよう心がけていた陽太の背後に、人が立った気配がした。 「いらっしゃいませぇ」 声を出しつつ、お客様の邪魔にならないよう、陽太は腰を低く落としたまま、少し脇にずれる。 先に別の棚の品出しをするか、とその場を軽く片付けて立ち上がろうとした。 と、ちょうどそのお客様が尻ポケットからスマホを取り出そうとして、紙切れのようなものをヒラリと落としたので、陽太は咄嗟にその紙をキャッチする。 「お客様、落とされましたよ」 そう言いながら、顔を上げて紙を差し出すと。 相手は、制服姿の男子高校生だった。 高校生にしては、かなり上背がある。 鷹城ほどではないにしても、180センチくらいはありそうだ。 彼はイヤホンを耳に突っ込んでいたせいで、陽太の声を聞き取れなかったらしい。 少しびっくりしたような顔で、こちらを見下ろしている。 「これ、落とされましたよ」 陽太はもう一度、ゆっくりめを心がけてそう言いながら、手にした紙を差し出した。 男子高生は、片方の耳からイヤホンを外しながら、陽太の手にした紙にチラリと視線を落とす。 そして、もう一度陽太に視線を戻した。 射抜くような鋭い視線だ。 陽太は、何か余計なことをしてしまったのだろうかと、背中に冷たい汗が滲んでくるのを感じる。 と、その男子高生はぶっきらぼうにボソリと口を開いた。 「あー、それ、アンタにやるよ」 「え?」 「拾ってくれて、サンキュ」 そうお礼を付け加えたところをみると、愛想と目付きが悪いだけでそんなに悪いコではなかったようだ。 彼はそのまま再び耳にイヤホンを突っ込んで、さっさとレジに向かって歩いて行ってしまう。 「いや、あの、これ…ええ?!」 特にいらないようなものだったのにお節介をしたからあんなに睨んでいたのか、と陽太は手にした紙切れに視線を落とした。 レシートか何かなのかと思ったそれは、しかし、何かのチケットのようなものだった。 「え…チケット?」 札幌市内のライブハウスで行われるライブのチケットらしい。 ちゃんとお金を払って買うもののようだ。 券面に入場1000円、と金額が書かれている。 そんなものを貰ってしまうわけには、と慌てて陽太は立ち上がった。 高校生の後ろ姿を目で追うと、彼は既に会計を済ませて店のドアを出るところだった。 背中にギターケースらしき黒い袋を背負っている。 音楽をやっているコなのか。 待って、と出かかった言葉は、他のお客様に声をかけられて遮られる。 「あ、ちょっと店員さん、入浴剤ってどこにあるかしら」 「あっ、はい…ええと、こちらです」 ご案内を終えてから、急いで店の外に出てみたものの、当然もうその後ろ姿はどこにも見当たらなかったのだった。
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