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父
父は作家を目指していた。元は町の工場で働いていたが、ある日いきなり辞めてきた。俺が小5の時だ。
「俺は家族のために今まで我慢して働いてきたんや。これからは好きに生きる。作家になりたいんや。もう大体出来ている」
シッピツニセンネンスル。
そう言って父は、ただでさえ狭い貸家の一室を自分の書斎とし、そこに籠りきりになった。
「冗談よして。あんた、これからどうすんの」
最初のうちは母はそう言って父を書斎から連れ出そうとしたけれど、殴られたり蹴られたりしているうちに何も言わなくなった。書斎から出てこない父の代わりに、母は働きに出るようになった。俺はご飯を自分で作ったり、洗濯や掃除をするようになった。
「ほら、宏治。小説が出来たんや。読んでみろ」
ある日、書斎からやっと出てきたと思ったら、父は開口一番そう言った。久しぶりに見る父は髭はもじゃもじゃで、顔も薄汚れていてやつれていた。
母を殴る様子を見ていたから、ビクビクと父の手渡す原稿を受け取って読んだ。小説を読むのは元々好きだったし、得意だったから、すぐに読み終わった。
「どやった?」
俺は迷って、正直に言った。
「つまらんかった」
俺はグーで殴られ、前歯が一本なくなった。金がなかったから、差し歯もなく未だにすきっ歯のままだ。
父はその自信作を出版社に応募した。
「これで、俺も作家様の仲間入りヤァ」
父はご機嫌でそう話した。しかし、その後の荒れようを見るに、小説は落選したらしい。
「次の作品の構想は出来てんのや。俺の頭ん中にな。後はそれを書くだけでええ」
口癖のように言いながら、父は酒を飲んだ。そうしないと、寝られないらしい。家計は火の車で、母は夜の仕事も始めた。原因はどう考えても働かない父と、その飲酒代だった。
父も夜中、便所に起きるようで、廊下を歩く音に目を覚ますと、大抵夜中の3時だった。
うるせぇな、死なねえかな。
暖かい布団の中で冷え切った思いを抱えながら、俺は何度もシミュレーションした。
机の中にあるカッターナイフを取り出して、トイレから帰ってきた親父を刺す。机の中にあるカッターナイフを取り出して、トイレから帰ってきた親父を刺す。
暗い天井を見上げながら、ぐるぐると思う。考えてるうちに、便所から戻ってくる父の足音がした。俺の部屋の隣の書斎へ帰っていく、はずの足音がその日は違った。
「ぎゃ」
聞いたことのない父の声がして、大きな物音がした。何かあったらしい。
どうしたんだろう、と思いながら、布団から出るのも面倒で俺はそのまま寝た。
次の日の朝、倒れて冷たくなった親父を、寝坊した俺の代わりに発見したのは、夜勤を終えた母であった。救急車を呼んだが既に亡くなっていたため、警察も来た。心臓発作を起こしていたらしい。初めて見た死体検案書の死亡時刻には、午前3時頃(推定)と書かれていた。
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