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 そんなことがあったせいで、学生の頃、母には言えないでいた。  作家になりたい、だなんて。  自分の好きなことばかりをして、家族を残して死んでいった、父と同じ職を目指すなんて。  そうして夢を諦め東京で就職したものの、退職して実家に戻った時、芽生えたのは、やはり作家になりたい、という気持ちだった。  俺は父と違う。  昔からよく本だって読んできたし、本当は書きたい物語が沢山あるんだ。それに酒も飲まない。  構想は出来ている。  あとはそれを、形にするだけだ。  退職してから一年が過ぎ、俺の処女作が出来上がった。新卒社会人が古い体制と闘いながら、会社を変えていくヒューマンストーリーだ。早速、出版社の公募に投稿した。自信作で、デビュー間違い無いのではという気持ちが抑えきれなかった。妄想が過ぎて映画化するところまで目の前に見た。クレジットの原作者のところには、坂田宏治、俺の名前。  現実はそんな訳なく、あっけなく一次落ちだった。  その頃から、夜、眠れなくなった。 「東京に行って大変だったんや。暫くゆっくりしたらええ」  最初はそう言っていた母の、物言いたげな視線を感じるどころか、直接聞かれるようになったからだ。 「いつから働くんや?」  これが仕事だよ。今、第2作目を書いているんだ。俺はかつて父の使っていた書斎を母に見せた。原稿用紙が沢山散らばっている。その多くが途中まで書いては、線で消している。 「そうやなくて。小説は好きに書いたらええ。でも、働かな金があらへんやろ」  働きながらなんて良い作品は出来ない。俺は執筆に専念したいんだ。  そこで、母は溜め息混じりに言った。 「父ちゃんに似てきたなぁ」  その言葉に頭が真っ白になって、気付いたら母を殴ってた。母は何も言わなくなった。休職手当も終わり会社員時代の貯金も尽き、俺たちは母のパート代と年金を頼りに暮らした。  眠れない俺は、元は飲まなかったというのに、寝酒をするようになった。酒を飲むと、嫌なことを忘れて良く寝れた。その代わり夜中にうなされるかのように、尿意のおかげで起きる。  いつからかずっと、悪夢を見ていた。本当は、尿意という体の仕組みは夢から覚める手段だった。  寝るのが怖かった。夢を見たくなかったから。  夢の中も決まって夜だ。時計は午前3時を指している。俺は布団の中にいる。廊下を歩く音が聞こえる。ぎし、ぎし、大人の男の足音だ。この家には、大人の男は父しかいない。俺は小さな子供なのだ。ぎし、ぎし、足音が迫ってくる。恐怖で体が動かない。机の中にあるカッターナイフを取り出して、トイレから帰ってきた親父を刺す。机の中にあるカッターナイフを取り出して、トイレから帰ってきた親父を刺す。そう繰り返す。いつの間にか、俺の手にはカッターナイフが握られている。目の前に父がいる。胸を押さえ、苦しげに目を見開き、助けを乞うようにこちらへ手を伸ばす父の姿が。 「おまえが、ころしたんや」  そこで目が覚める。膀胱が膨らんでいる。  時間は決まって夜中の3時だ。  俺は目が覚めたことに安堵し、トイレへと向かう。ぎし、ぎし、歩くたび音が響く。今やこの家の大人の男は俺だけだ。  トイレへ向かう途中、居間の襖から明かりが漏れていることに気付く。 「母ちゃん、まだ起きとんの?」  襖を開けると、そこに母の姿はない。当然だ。母は死んだのだ。2年前、父と同じ心臓発作。過労のせいではないかと、責めるように医師に言われた。死体検案書の死亡時刻には、午前3時頃(推定)。  死亡届の届出人は俺だ。 「なんや、これ。おかしいな」  俺はあることに気付く。居間の時計が止まっている。3時ぴったりを指したまま、秒針も動かない。 「壊れたんか? 電池切れか」  それにしても困った。母が亡くなって年金が入らなくなった。生活保護の申請もなかなから通らない。電池を買うお金どころか、食料を買う金さえなくて、そうだ、先月から電気も止まったんだ。電気代が払えなかったから。そろそろ水道も止まるかもしれない。  しかし、明かりがついている。 「おかしいな、電気」  頭を押さえる。割れるように痛い。いや、いっそ割れた方がマシかと思うほど。痛い、いたい。いたいたいだだだだだだだだだだ。  声は出ていない。頭を押さえたまま転がる。体が動かない。天井を仰ぐ。俺が見下ろしている。 「あ」  気付くと、自分を見下ろしていた。苦しげに目を見開き、助けを乞うように手を伸ばして、死んでいる。  俺は死んでいる。  時計の針は、3時を指している。  
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