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二つ年上の「けんちゃん」はヒーローだった。
ぼくら少年野球のメンバーにとっても、中学の野球部員にとっても、きっとけんちゃんに野球を教えたおじさんにとってもだ。
「お前ら声出していけよ!」
ショートのポジションからひときわ大きな檄が飛ぶ。
けんちゃんは特に守備の時間帯での声出しを重視した。
ピッチャーは独りで戦っとる。マウンドの上で代わりに投げてやることはできん。
だからこそ、独りじゃないと伝えたらなあかん。バックを守る野手からの声かけが、ベンチの声出しが投球に乗ってバッターを抑え込むんや。
それは六年生で少年野球チームのキャプテンになったけんちゃんが今になって主張しだしたことではなく、野球を始めてから己の信念のようにずっと貫いていることだ。
五年生の頃から市内では有名な選手だった。
『一番・ショート』
打撃のセンスや守備のうまさに加え、出塁率と帰塁率がとんでもなく高かった。
けんちゃんが塁に出れば一点は確実。あのチームには凄い一番バッターがいる。脚も肩も一級品で、小学生ながら心理面での駆け引きだってこなしてしまう。
現に、相手ピッチャーが盗塁を警戒するあまり自滅していくパターンの試合をぼくは何度も目にしてきた。
雨で土日の練習が中止になると、けんちゃんは団地の向かいにある高架下の赤土でひとり練習をしていた。
ならされていないデコボコの土の上で黙々とトレーニングをする。グラウンドでの雄姿のまま、ランニングと二十本ダッシュから。
雨のカーテンによって外界から隔絶された空間。ブンッ、ブンッと金属バットが空を切る轟音が雨音を切りさいて、世界中にまで届いていくようだった。
そうした一人きりの練習時間は小学六年生のけんちゃんを日々、逞しくしていった。
「ノーアウト満塁なら俺んとこに飛んでこいって思いながら守っとる」
そう言って、にんまりと笑う。
けんちゃんの言葉は実力に裏打ちされているからどれも心に響いた。
心が身体のどこにあるのかわからないけど、けんちゃんに語りかけられるといつも胸のあたりが詰まるような気持ちになった。
子どもながらに野球の神様はきっとけんちゃんのことだと思っていた。
地を這うような球をグラウンドの砂ごとすくい上げて、矢のような送球をファーストへ。
ショートゴロが野球の試合のなかで一番うつくしいプレーだと信じてしまうほどに洗練された動きだった。
「大丈夫、ツーアウト。あと一つでチェンジや」
試合中、けんちゃんがそうマウンドに声をかけた後は決まってショートに球が飛んだ気がする。
それがライナーだろうがショートバウンドだろうが、見事なまでのグラブ捌きでスリーアウト目をチームに捧げる。
安心感と高揚感を併せ持つ野手。けんちゃんは他に類を見ない、素晴らしい野球選手だった。
四年生だったぼくは赤土で練習に励んでいることを知っていたから、ある雨の土曜日、ちゃんとユニフォームを着て道具を担いで挨拶をした。
けんちゃんは一瞬、困惑したように脚を止めた後、屈託のない笑みをこぼすと「ランニングからやぞ」と指先で円を描いてくれた。
ぼくが四年生以下の大会でサードを任されていること。
ベンチで誰より大きな声を出していること。
けんちゃんと同じ背番号を貰っていること。
ぼくが誇りにしているどれかを知ってくれていたのかはわからないけど、一緒に練習をさせてもらえることがたまらなく嬉しかった。
もちろん中学にあがってもけんちゃんの快進撃は続いた。
地元にリトルリーグがなかったから野球部に所属すると、一年生で「一番・ショート」の定位置を獲得した。
二年生のみならず三年生まで追い越して、レギュラー入りを果たす新入生。
少年野球の監督からそのことを聞かされた日は、赤土でけんちゃんに会える雨の便りがただただ待ち遠しかった。
「慎吾。俺はプロ野球選手になろうと思っとる。うち、おかんおらんやろ」
雨足が強まっていくなか、ぼくらは練習終わりのストレッチに取り掛かっていた。両脚を広げて向かい合い、お互いの腕を引っ張る。
成長期を迎えていた筋肉がしなやかに成長していくさまが目に見えるようだった。
けんちゃんとは、これまで立ち入った話はしてこなかった。
ぼくらの間にあるのは純粋に野球に対する情熱だけでそれ以外には興味がなかった。
だから、けんちゃんの家が団地だったことも、両親が一度も試合を観に来たことがないことも、お昼ご飯がいつもコンビニのおにぎりだったことも、ぼくは触れたことがない。
「野球を教えてくれたこと、おとんに感謝しとる。毎晩、遅くまで働いて俺に野球をやらせてくれてることも。だから、甲子園に出て、プロになって楽させたろう思っとるんや」
そう言ってまたにんまりと笑う。ピンチのとき、必ずショートに球が飛ぶあの前触れに似ていた。
けんちゃんはどんな打球でも捕球してアウトにしてしまう。決して綺麗なグローブじゃない。使い込まれた、何度も手入れを繰り返しているグローブだ。
それはもしかすると、けんちゃんのおじさんが与えてくれた魔法のグローブなのかもしれない。
お母さんがいないから、その分、球がうまく取れるように――
お父さんとなかなか会えないから、その分、守備がうまくなるように――
赤土での練習が終わると、ぼくらはいつも一本の黒い傘におさまって帰った。
大人でも三、四人は入れるんじゃないかと思うくらい大きくて、どんな雨風にも折れない骨の強い傘。
『身体、冷やすなよ』
早朝から仕事に出かけるけんちゃんのおじさんが傘とともに書き置いたメモ。
雨の日になると、子どもには不釣り合いなその傘を差してけんちゃんは赤土までやってきて、ぼくと一緒に団地まで帰った。
「こんな大きい傘、ひとりやったら笑いもんや」
柄に刻まれた『賢三』という白い文字がこの世界のどんな色より輝いて見えた。
ぼくを傘のなかに招き入れる瞬間の、けんちゃんのあのはちきれそうな笑顔がとても、とてもまぶしかった。
ぼくが中学にあがると三年生のけんちゃんの世代は最強だった。
少年野球の時と同じようにショートでキャプテンになったけんちゃんの熱意に鼓舞されるように、チームは破竹の勢いで公式戦を連勝していた。
そして、けんちゃんは希望どおり、招待選手として他県の強豪校に進学した。
甲子園の常連校。部員数はひと学年だけで百人を超える大所帯。
「俺はやるぞ。おとんをひとりにしてまうけど、一年から甲子園で活躍する。慎吾もテレビじゃなくて、スタンドに応援こいよ」
最後の赤土での練習日、ぼくは涙を堪えながら何度もうなずいた。
ツーアウト満塁。マウンド上のピッチャーに声をかけたショートストッパーは魔法のグローブでスリーアウト目と勝利をチームにもたらす。
太陽に照らされた甲子園のグラウンドで、けんちゃんの躍動する姿が目に浮かぶようだった。
人気者だったけんちゃんは町中から祝福され、未来を確約されたように高架下の赤土を去っていった。
けんちゃんの世代が抜けた後、ぼくらは一回戦で負ける弱小校に成り下がった。
思い描き、想い憧れた先輩たちのプレーをなぞることはできず、ぼくはライトで九番。三年生になると下級生の控え要員にまで落ちぶれた。
けんちゃんのいなくなった赤土で練習を続けたけど、自分の実力が評価されない現状に嫌気がさして、いつの間にか雨の日の練習を休むようになった。
でも、それでも遠い場所で努力し続けるけんちゃんの姿を想像すると、野球をやめようとは思わなかった。
『お前ら声出していけよ!』
ぼくが野球を続けていることが、おこがましくもけんちゃんの支えになっている気がして――中学最後の大会も、グラウンドで活躍する優秀な後輩たちに向けて、ぼくはベンチから声を張り続けた。
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