土曜日

3/5
16人が本棚に入れています
本棚に追加
/103ページ
 おばあちゃんは今日もベッドに横になっている。 「おばあちゃん」  わたしは襖をそっと閉めて、おばあちゃんに近づく。おばあちゃんはのっそりと首を動かし、わたしを見て頬をゆるめた。 「ああ……ハナちゃん、おかえり」  カチャンとわたしの中で、なにかが割れた音がした。  小学生のころ。ランドセルを背負って家に駆けこむ。お母さんは仕事でいなかったけど、うちにはおばあちゃんがいる。 「チョコちゃん、おかえり」  わたしを呼ぶ、おばあちゃんの声。  わたしの名前をつけてくれたのは、おばあちゃんだった。 『蝶のように美しく育ってほしい』  おばあちゃんの願いどおりになっていなくて申し訳ないけど、わたしはこの名前が好き。  おばあちゃんに「チョコちゃん」って、かわいく呼ばれるのも好きだった。 「おばあちゃん……どうしてよ」  おばあちゃんのそばに近づいて言う。 「どうしてお姉ちゃんと間違えるの? わたしは蝶子だよ! なんでわかんないの!」  言葉が、勝手にあふれ出る。 「間違えないでよ! なんで間違えるのよ! なんでなんにもしてないお姉ちゃんと間違えるのよ!」  手を伸ばし、おばあちゃんの細い肩を揺らす。  わたしはおばあちゃんのそばにいた。前みたいにお手玉ができなくなっても。ベッドに寝たきりになっても。トイレに行けなくなっても。 「なのにどうして、わたしのことわかんないのよ!」 「蝶子!」  いつの間にか入ってきたお母さんが、おばあちゃんの体をゆさゆさ揺すっているわたしを止めた。  おばあちゃんは、はあはあと息をはいている。 「やめなさい! あんたなにしてるのよ!」  わたしは手を止めて、唇を噛む。  おばあちゃんの目が、あてもなく彷徨っている。  おばあちゃんはわたしを見ていない。わたしの顔も、わたしの名前も忘れちゃったんだ。 『もう死ねばいい』  お母さんの言葉はわたしの言葉。わたしだって本当はそう思っていた。  綺麗じゃなくて、お手玉もできなくて、トイレにも行けなくて、子どもみたいにわがままを言うおばあちゃんのこと……わたしはもう見たくなかった。  アンタニハココロガナインダ。  心がないのは永遠だけじゃない。わたしにもないんだ。
/103ページ

最初のコメントを投稿しよう!