ウェントウェルネルの白竜

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ウェントウェルネルの白竜

遠い昔のものがたり。 ウェントウェルネル島の海辺の洞穴。 そこには世にも珍しい、白き竜が住んでいた。 大きくて、恐ろしげで、みんなに恐れられていた。 だから、ずっとひとりぼっち。 本当は寂しがりやなのに。 ずっと、ずっと、ひとりぼっち。 白き竜は寂しさのあまり、いつも大きな声で吼えていた。 人々はその恐ろしい咆哮に怯え、誰も洞穴に近寄らなかった。 ある日、小さな女の子が洞穴に迷い込んできた。 白き竜と目が合った。 でも少女は白き竜を怖がらなかった。 轟く咆哮にも、遥かなる威容にも、少女は怯えなかった。 白き竜は嬉しかった。 少女は毎日のように遊びに来るようになった。 白き竜は嬉しくて待ちわびるようになった。 白くて美しい鱗を磨くため、蜜蝋を持ってきてくれるようになった。 目の届かぬ、首の下の鱗を丁寧に磨いてくれた。 白き竜は嬉しくて、嬉しくて、のどを鳴らした。 音楽が好きと知って、小さな竪琴を持ってきてくれるようになった。 たどたどしい手つきで、色々な曲を奏でてくれた。 白き竜は嬉しくて、嬉しくて、尻尾でリズムを奏でた。 名も無き大きな白い友人に、名前を付けてくれた。 彼が嬉しい時に出す声を擬音にしただけの名前だが、一生懸命考えてくれた。 パフは嬉しくて、嬉しくて、ポロポロと涙をこぼした。 もうひとりぼっちじゃなかった。 この小さな友人に魔法の赤い服を授けた。 自分と一緒にいてもちゃんと目立つように。 小さくて、弱くて、大切な友達を、洞窟に漂う毒から護ってくれるように。 少女を乗せて冒険にも出た。 ある時は大きな魔法の船で。 ある時は力強い、彼の巨大な翼で。 少女はいつもとても喜んでくれた。 尻尾や首にしがみ付き、目を輝かせてくれた。 パフは嬉しかった。 冒険には危険はつきもの。 でも偉大なる白き巨竜に弓を引く愚か者はいなかった。 王様だろうと、海賊だろうと、みんなが道を譲ってくれた。 そんな彼らを苛めたくなったが、少女がそれを許さなかった。 パフはぐっと我慢した。やがて皆が笑顔で手を振ってくれるようになった。 パフは嬉しかった。 嬉しいが嬉しいを呼んだ。 パフは幸せだった。 幸せはずっと続いた。 少女はいつしか成長し、美しい女性になった。 幸せはずっと続いた。 竪琴から美しい曲が奏でられるようになった。 幸せはずっと続いた。 彼女は変わらず、パフのもとに来続けた。 幸せはずっと続いた。 彼女の美しさは徐々に失われていったが、パフは気にもならなかった。 幸せはずっと続いた。 だんだん来る頻度が減ってきた。 それでも、幸せはずっと続くと思っていた。 幸せすぎて、パフは気付かなかった。 ある日を境に、彼女はパフのもとに来なくなった。 幸せすぎて、パフは気付かなかった。 永遠の命を持つパフと、限られた命の彼女。 幸せすぎて、パフは気付かなかった。 彼女はパフのもとから永遠に旅立ってしまったというのに。 幸せすぎて、パフは気付かなかったのだ。 弾き手を失った竪琴が、もう音を奏でる事は無い。 鱗の蜜蝋も乾ききってしまった。 これからはまた、ずっと、ずっと、ひとりぼっち。 パフは悲しくて、悲しくて、ポロポロと涙をこぼした。 美しく輝く白い鱗は、色あせてしまった。 恐ろしい咆哮をあげる気力を、失ってしまった。 永遠に続くと思っていた幸せを、失ってしまった。 悲嘆の中、パフは眠りについた。 もう目覚める事は無いだろう。 夢の中で、彼女とまた冒険に出るのだ。 パフは深い眠りについた。 ウェントウェルネル島の海辺の洞穴。 ここには世にも珍しい白き竜が住んでいた。 遠い昔のものがたり。
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