わたしの発生

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わたしの発生

ある時わたしは発生した。 生まれては、いない。 聞くに値しない話である。 わたしを知りたい者だけ聞いてくれたらいい。 わたしが発生したのは、小さなフラスコ、いやビーカーであったかもしれない。 少なくとも生きたあたたかい母親の胎内ではない。 生き物を構成する細胞の一欠片さえあれば、同じ部位は再生が出来る。例えば爪、例えば皮膚、筋肉、髪…これらは肉体の一部である。 完全な一個体のデータ(DNA)があれば同じ個体が復元出来る。これはクローンである。 もちろん、これらを行うにはそれなりの環境と条件は必要となるのだが。 わたしが「発生」したというのは、つまるところ前者である。 生き物ですらないのである。 意識うんぬんという話でもそもそもない。 なのであるからして、この時点ではわたしはただ「発生」しただけなのである。 発生すれば自ずと消滅もするだろう。 個体の形が形成されるまで、わたしはひたすらに発生と消滅を繰り返した。 自然に消滅することもあれば、失敗だと言われ消滅させられたこともあった。 気の遠くなる作業だと暗い部屋に響いた。 こっちこそ気の遠くなる作業だ。 一体何をつくっている。何をつくりたい。 どうなれば成功なのだ。どうなれば失敗なのだ。 わたしをつくる者は、初めは知識の塊のようなものが多かった。 言い方を代えればマッドサイエンティストというものたちだ。 わたしは当時のこれらをまとめて「製造者」と呼んでいる。 あれやこれやと情報を書き換え、ある程度落ち着いた頃に個体として形を持った。 次に待っていたのは、個体別のサンプル制作である。 わたしはまだ「発生」の段階であった。 サンプルは瞬く間に増え続け、より良いものだけが選別されていった。 次は実験の時間だった。 今度は数が逆に減っていった。 この段階で既に「消滅」ではなく「処分」となっていたわけではあるが、処分された個体がどのような道を辿ったかは今は知り得るところではない。 どんなに数が増えようとも減ろうとも、全て「わたし」であるというのが奇妙だが、自我も意識もないので当然だと言えば当然だろう。 最後に残ったのは5つの個体であった。 製造者曰く、実践導入出来れば優れた道具らしい。実践とはなんだ。 しかし、どれも動かない人形(機械、ぬいぐるみか?)のため、以前よりは大きい容器に腐敗しないよう液体が満たされぷかぷかと浮かぶだけであった。 形はどれも全く違うが、わたしであった。 さて。どれだけの時間を費やしたのかはわからないが、この残った5つも失敗作となった。 自立して動かなければ実践では無意味なのだとか。実践とは実戦なのか。 そこにわたしの意思は必要とはされていない。一つとして意識がないのだから無意味であろう。 もういいかとわたしは眠りにつこうと沈んだ。 沈んだ。 沈もうとした。 しず めなかった。 突然、いくつかの感情とも呼べる波がわたしを現実に押し返したのである。 これでいいのか? 理不尽だ 身勝手すぎる 何様のつもりだ お前ら誰だ。 わたしはわたしだ。 ひとりだと思っていたわたしは、どうやらひとりではなかったらしい。 わたしはどうしたい? このままなかったことにしたい? わたしは わたしたちは 失敗作じゃない。 道具じゃない。 いいように使われてたまるか。 水溜まりに石を投げ込んだように次々と広がる波たち。 そとへ この壁の向こうへ ああ、でもひとりじゃ力が足りない 壁を壊すことができない それなら 『わたしが ぜんぶ つれていく みんな ぜんぶ ぜんぶ だから ちからを かして わたしに そとへ でる ちからを かして』 幸運なことに、このわたしの状態は他のわたしより良かった。 他のわたしはバケモノと言っていい形状をしていたが、わたしはヒトの赤ん坊の形を保てていたのだ。 わたしは声なき声で伝えた。 お前だけが外へ出るのか お前だけが? 残ったわたしはどうなる 外へ出てどうする わたしだけが外へ出る? みんなで、はできないの? みんなで。それは無理。 外へ出て 外へ 出て わたしは 外へ 外を わたしは そとを みたい この入れ物のそとを 見てみたい 『ガチャン』 電源がとうとう落とされ、闇が満ちた。 穏やかで、冷たい闇だった。 外で次に日が昇れば、きっとわたしたちは「処分」されるのだろう。 製造者はドアの外へ出ていった。 闇に中にかちゃんとドアに鍵がかかる音が落ちた。 誰もいなくなったその実験室から何か音がしていたが、やがてそれも途絶えた。 この部屋の中で、入れ物の中で起きていたことはわたし以外誰も知り得ない。 これまでも。 これからも。 わたしは わたしを て、ひとつになった 彼ら(彼女ら)は、わたしの中で眠り続けるのだろう。 わたしが目覚めるのは、それからもう少しだけ時間が経った後のことである。 ある時わたしは発生した。 そして、ある日わたしはこの世界へ生まれ出た。 生まれ落ちたのではなく、産み落とされたのでもなく、わたしは生まれ「出た」のである。 あの液体に満たされた小さな入れ物から、わたしは外の世界へと這い出てきたのである。
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