マイナス地点は水面下

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さて、初めてその空間という部屋の扉が開いてから1年ほど経った。 はっきり言えばわたしには時間という概念がなかった。 しかしそれでも時間の経過がはっきりと実感できたのには、理由がある。 それは、扉を開いた「彼」の成長である。 まだ机ほどの大きさであったのに、倍近くになって驚いている。 わたしは彼に保護、確保の方が近いかもしれない、された。 あの部屋から出され、生き物、なまものではないのか?としての扱いを受けている。 えさ、ごはんと言うべきか、を貰い。 服を着て、風呂に入って身を清め、勉強する。 これが今のわたしの日常、日課・すけじゅーるというのか、である。 体にたくさんたくさん物を入れて、体を大きくすればできることが増えるらしい。 今日はミルクを大きいビン3つ、ハチミツをビン1つ、にしようとしたがハチミツは大きいビンだとバレて小さくされた。 心と体を大きくすることが今のわたしの課題だ。 よくわかっていなかった。 「言葉」は難しい。 思っていることと、口から出てくることは少しだけずれている気がする。 なぜかはわからないが、それは多分自分の中にだけ閉まっておくものか、誰かに対して伝えるものかの違いだとわたしは思っている。 伝えるものは伝わるようにしようとしなければ意味がない。 伝わるようにするため言葉を選ぶ。 言葉を選ぶためにはそれだけたくさんの言葉を知っておいた方がいい。 そのために心を大きくしてたくさん考え、本等の文章を読んで勉強するのである。 体を大きくすれば待遇も変わってくる。周りが自分を見る目が変わってくるのだ。そのため、自分も回りに対する見方が変わる。 1年前にわたしをあの部屋から連れ出した彼は「ノイズ」だと言った。自分の名前は「ノイズ」だと。 わたしは彼を「ノイズ」だと認識した。彼は「ノイズ」だ。 では、わたしは? この世界には名前というものがそれぞれに与えられるらしい。 彼にとって「ノイズ」というものがそれに当たる。 「彼」は「ノイズ」だ。そして、ヒトであり、男であり、研究員見習いであり、子どもであった。そして彼は、わたしを発生させた一人ではなかった。 ノイズには父親がいた。それはヒトであり、男であり、研究員であり、大人であった。どことなくノイズに、ノイズが?似ていた。 わたしは彼を周りに合わせて「博士」と呼んでいた。博士はわたしを発生させた人のひとりだった。 父親が何かよく分からなかったが、ノイズと一緒になって色々教わった。この人はたくさんのことを知っている。 博士と本があれば、世界の全てが解るのではと思うほどだった。 博士はすごかった。 ノイズは…しょぼかった。 いや、その、控えめに言って…うん。しょぼかった。かというわたしもしょぼかったのだが。 とにかく無知だったのだ。そして、無力。博士は、それが子どもと言うものだとおっしゃっていた。あと、しょぼいと言うなとも。 子どもは守られて大人になっていくものなんだと、博士は言っていた。 ならば、「子ども」のノイズはわたしが守ろう。ノイズは弱い生き物だから。 この頃、既にわたしは自分が異常であることを受け入れていた。 1年前、ノイズは5才・わたしは産まれた直後。しかし今は、わたしはノイズと同じ身長。 わたしはバケモノだった。 でも、何も言わなかった。 だって、ノイズと一緒に遊びたい。 博士にもっと色々教えて貰いたい。 二人は「外」へ出掛けることが多かった。そして、おみやげをたくさん持ってわたしのところへ帰ってきた。 わたしは一度も外へ出たことがない。 ノイズと博士以外に会ったことはない。 いや、正確には博士がわたしを外から隠しているのだ。 わたしを発生させた「あの実験」は失敗したことになっている。つまり、あの実験自体を知っている人はいないはずだったのだ。 でも、わたしは残ってしまった。あの暗い空間で何が起きていたのか知っている。 今、あの空間がどうなっているのかは知らない。 わたしは、よくあの空間のドアの前に行き、座り込んで、ドアに耳を当ててみる。 ……… 何も聞こえない。 何も聞こえてこないで。 あの瞬間が、まだ終わりを告げないでわたしを待っている。 ナンデ オマエハ ソコニイルノ? なんでわたしだけがこっちにいるの? なんでわたしだけが そんなときは、いつの間にかノイズがやって来て、手を引いてベッドに連れていってくれる。そして、灯りを落とさずに手を繋いで二人で眠るのだ。 あの日「たまたま」あの扉を見つけ、小さな冒険心とともに扉を開き、わたしを見つけ、そして。 真っ黒なこわいこわい闇から、わたしを連れ出してくれた。 だいじょーぶ、だいじょーぶ、と、まだ舌足らずの口で励ましてくれた。 あのときのように、ノイズは1年経った今でも手を握って、大丈夫、大丈夫とわたしに言ってくれるのだ。 博士は博士で、わたしに外のおみやげを机にずらりと並べる。 博士の年齢は20代前半だ。 1度しっかり聞いたが、若いのかなぁと思った程度で忘れてしまった。 種族ごとの平均寿命がどれくらいかは分からないが、以前博士から聞いた話だと人は何もなければ60才前後だという。それをベースにして考えれば、博士はまだまだ若い部類ということだろう。 といっても、わたしは博士とノイズしか人は見たことないのだが。 そして、多分。多分である。この二人は所謂「キレイ」というものに当てはまるのだと思っている。 二人ともキラキラひかる髪(ぶろんどというらしい)を持っているし、目もおみやげにもらったキャンディの様に甘く輝いている。 とても、とてもキレイだ。 二人を「キレイ」だと認識する理由がもうひとつある。 わたしは行動範囲を制限されていた。 ただ通常がどれくらいなのかは知るよしもないため、博士が言ったことそのままであるが。 具体的には5部屋(博士部屋、ノイズ部屋、物置、研究室、あの部屋)である。その内の1部屋は立ち入り不可の状況だ。 そのどこからも「外」を見る窓はない。 そう。 わたしは博士とノイズ「しか」みたことがなかったのだ。 外からのおみやげは、単なる知識として受け取っていた。こんなものがあるのか、とだけ口にし、喜ぶことも大してしなかったわたしに博士はおみやげの数を増やしていった。 この時のわたしの世界はこの2人だけだったのである。 鏡というものも置かれてはいたが、わたしはそれを覗くことはななかった。 「バケモノ」ということを抜きにしても、自分は2人とは違うということを受け入れたくなかったのだ。 博士とノイズは親子。 わたしはその他。見た目としても明らかに異なるはずだ。 自分は「部外者」、いらない・いてはいけない存在だと思いたくなかったのだ。 その感情の理由は、まだ言葉にすることはできない。 ただ、何かにおそれていたのだと思う。 わたしだけが違う。 わたしは違う。わたしは異常。 わたしは わたしはいてはいけない。 わたしは生きていてはいけない いつもそのように考えてしまう。 いくら2人がわたしといることを望んだとしても、「違う」という現実(事実)は確実に重くのし掛かってくるのである。 それでも。 「外」を知らない、「外」に出ることができないわたしはここしかいられる場所はなかったのだ。 この小さなわたしの世界を、2人は「研究所」と言った。 ある日 この研究所は 赤黒い炎に包まれて 消えることになった。 小さな研究所に火を放ったのは ………?
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