Ⅰ 孵化

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 萌と別れてから、昂は直接、薬師の住む薬室兼住居に足を向けた。夜も遅い時間だが、自分の家族に会う前に、空に決意を伝えたかった。  自分で決めた気持ちを大事にしたいと思ったからだ。情けないが、他の人にいろいろ言われるとぐらついてしまうことを、昂は自覚していた。  しかし、行く道の向こうから歩いてくる二人の男を見て、昂は隠れたくなった。信と拓の父親である(ごう)が連れ立って歩いてくる。信と剛は、昂と拓同様、子どものころからつるんでいた間柄である。  夜道だからまだ気づかれてないかと逡巡していると、向こうから野太い声が聞こえてきた。 「よう、悩める青少年」  剛は陽気に片手を上げて、昂を呼んだ。  信が話したのかと思うと、恥ずかしさでうつむいてしまう。  剛は気にせず笑った。 「若いころに悩むのは、俺はいいことだと思うぞ。まぁ、こいつは可愛げなく、なんでもそつなくこなせたから、あんまり悩んでなさそうだったが」  昂の父親をちろりと見る。 「それで、こんな面白みのない男になっただろ?」  剛はたくましい腕を、昂の肩に回した。 「心配するな。お前はいい男になるよ」 「お前、どこに行くんだ?」  信がいつもと変わらない調子で、昂に尋ねた。言いながら、自分たちの来た道を振り返る。 「……空のところか?」  察したように言う信に、昂はゆっくり首を縦に振った。 「俺、外に出て、生業を見つけてくる」  勝手に決めたことを責められるかと思った。そうでなければ、また甘えているとなじられるかと思った。  怯えながらも、自分の決意を示したくて、信の目を睨みつけた。  信がフッと息を漏らした。  笑ったのだと気づいたのは、しばらくしてからだった。 「分かった。行ってこい。きっとお前の力になる」  思いがけない優しい言葉に、昂は信じられないという顔で、信を見つめた。  隣で剛がゲラゲラ笑う。 「見ろよ、昂の驚いた顔。信、父親としては、断然俺の方が勝ってるな」  昂は自分の肩にまわされた、剛の太い腕を見た。  剛の腕には引きつったようなひどい火傷の痕がある。肩や背中はもっとひどい。昔村が焼けてしまった時、大やけどを負ったのだ。生死の境をさまよったが、備わっていた強い生命力のおかげで、一命をとりとめた。  しかし、男性としての機能は、火傷のせいで失われてしまった。  数年後、蘭が昂を産んだ年、剛は狩りの最中、森で赤ん坊を拾った。それが拓だ。  剛と妻の(こう)は、森から貰った幸いの子として、拓を大事に育てた。  その子が大人になって、剛の跡を継ぐ。 「剛、拓が大人になれたってね」  剛の顔がまず驚いて、それから喜びに輝いた。 「そうか!」  剛は思わず、といった感じで声をあげた。  あ、やっぱり、拓の奴、言ってなかったんだ。  嬉しさを隠そうとして歪む剛の顔を見て、昂は心の中で肩をすくめた。  はなまつりでうまくいかなかったことを、ポロリと剛に言ってしまったと拓は嘆いていた。それなら、うまくいったのだと早く知らせてやればいいのにと思うが、過剰に喜ぶであろう剛を想像できるだけに、拓が言いそびれているのも納得できる。  俺が言っちゃってよかったかな。  優しい剛を喜ばせてやりたいと思ってしまったのだ。 「昂、信のいるところで言うなよ」  剛がこそこそと昂に耳打ちする。  信はニヤリと笑って言った。悪魔の微笑み。 「よかったな。互いの息子が無事大人になったということで、祝いに一杯やるか」 「じゃ、俺行くよ」  こそこそと昂は逃げ出す。  信はこのネタで、しばらく剛をつつくだろう。剛のにやけた顔は、昂でも突っ込みたくなった。剛はかなり親バカなのだ。  昂は嬉しくなって、一人笑いながら、薬室への道を駆けていった。
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