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「くそっ」
肩が焼けるように熱い。だけど、今すぐここから離れなければ。
昂は左肩に刺さった矢の矢羽根の方を折ると、痺れる肩を押さえた。
神殿の入り口で馬を下り、溢れる群衆の波に乗って、この辺りまできた。豊穣祭は始まっているようなので、昂が真っ先に会わなければいけない大公は、人の行く先、つまり祭りの中心にいると思ったのだ。
だがラウル公か、はたまた別の相手か分からないが、どうもこの神殿にも暗殺者が紛れ込んでいるようだった。ねばりつくような視線に、今度は昂の方が先に気が付いた。
だが、この人込みで矢を射かけられるとは思わなかった。
まさに人の波にのまれそうになった時に、左肩に矢を食らったのだ。幸運にも、周りの人間は昂の肩に矢が突き立ったことに、すぐには気が付かなかったようだ。自分の事で精いっぱいなのだろう。
昂はかろうじて声を上げそうになるのを、抑えた。騒ぎになっては困る。
敵は、この群衆の中でも俺を射抜けるほどの、腕を持っている。すぐに次が来る。俺を除きたいのなら、仕留めるまで来るだろう。
動きたかったが、人が多すぎて思うように動けなかった。
焦りばかり募る。ついに、昂の肩に刺さった矢を見て、周りが騒ぎ始めた。
その時、ものすごい圧力と共に声が響いた。
「昂!」
聞いたことがない声だった。だが、なぜか誰の声だか分かった。その声は辺り一帯に響き、そこにいる皆の鼓膜を震わせた。
その音の質量に耐え切れず、人々は耳を押さえてうずくまった。
昂も耳の奥で反響する音に顔をしかめながら、声の主を探す。
その子の声を昂は聞いたことがなかった。だが、その子の声に違いがないと確信があった。
「奏?」
その子どもは、男の死体の前で佇んでいた。自分の口を両手でしっかりと塞ぎ、飛び出さんばかりの目で、死体を見ている。
男の死体は、獣にでもずたずたにされたかのように、ひどい有様だった。あらゆるところが裂け、腸がだらしなくはみ出している。目玉は驚いたように飛び出ていた。
ぼろぼろになってはいるが、その背には背負われた矢筒があり、近くに弓が転がっていた。矢が一本、男の眉間に突き刺さっていた。
恐らく、昂を狙っていた暗殺者だろう。どうして男に矢が刺さっているかは分からないが、昂に追い打ちの一矢を放ったに違いない。
昂がいるところからは、一段高いところに奏はいた。外庭と呼ばれるところだ。
昂は奏に向かって叫んだ。
「奏!」
奏の身体はブルブル震え出した。押さえていた手から、音が漏れ始める。
最初は唸り声に聞こえた。だが、それは次第に声を帯び、世界を震わせ始めた。
「うぅぅぅぅおぉぉぉぉあぁぁぁぁぁ」
彩、彩、どこにいるの?
僕はここにいるよ!
助けて!早く、来て!
僕は、僕……奏は……
世界を壊してしまう。
「奏!」
彩は一言そう叫ぶと、椅子を蹴って立ち上がった。驚く燦とターシャには目もくれず、どこかに向かって走り出した。
「待って、彩!」
捕まえようとした燦の手のはるか先を、彩は飛ぶように駆けていった。
どうしてあんなに速く走れるの?
燦は混乱した。目の見えない彩は、歩くことこそこなしていたが、走るところなど見たことがない。
後ろでターシャの息を呑む音が聞こえた。
「目が開いてたわ」
燦が振り向いてターシャを見ると、ターシャは信じられないものを見たような顔で、燦を見つめた。
「あの子の目、開いていたわ。金色の目をしてた」
燦はターシャを見返した。
ターシャの声は重々しく聞こえた。
「初めて見たわ。神の目よ」
不思議な音と共に、地面が揺れ始めた。
ターシャが小さく悲鳴を上げた。
燦はターシャに構わず、彩の後を追って、自らも走り出した。
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