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「昂……昂っ!」
掛布を引きはがされ、胸ぐらを捉まれ、無理やり引き起こされる。
ぼんやりとした視界の向こうには、怒れる母の冷たい目があった。
「あんた、今朝まかない所の当番じゃなかったかい」
脅すようなその口調に、昂は飛び起きる。
「やべっ、そうだった!」
掛布も敷布もぐちゃぐちゃのまま、昂は家を飛び出した。後ろで仁王立ちする母に、感謝を込めて叫ぶ。
「ありがとう、蘭!助かった!」
はなまつりを無事終え、一応大人になったとされても、生業を決め、修行に入るまでは、まかない所の当番を外れることはできない。昂はまだどちらの親の生業を継ぐか、決めていなかった。
母である蘭は厳しい母親であったが、村人全員の胃袋を守るまかない所には、もっと恐ろしい人がいた。
まかない所の入り口に、その人を見つけ、昂の背筋は凍った。
「おはようございます、朔さん」
朔と呼ばれた老女は、ギロリと昂を睨んだ。
この人に逆らうと、美味しいご飯が食べられなくなる。だから、絶対に逆らうな。それが針森の村人の暗黙の了解であった。針森の村では、村人全員の食事を、まかない所が一手に担う。
「蘭のところの長男坊か。姿が見えないから、ようやく生業を決めたのかと思ったわ、ホレ」
あごで示された方を見ると、弟の陽と妹の夕が素知らぬ顔でノイをこねていた。
あいつら、起こしてくれてもいいのに……
何も言えないでいると、朔は早く入れとあごでしゃくった。そうしてゆっくりと調理場を回り始めた。
蘭に聞いたところによると、蘭がまかない所を手伝っていたころから、朔はいい歳だったそうだ。今ではかなり高齢なはずである。
しかし足腰しっかりと調理場を歩き回り、張りのある声で、他のまかない師や子どもたちを叱り飛ばす。全く、元気な婆さまだった。
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