Ⅰ 孵化

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「昂……昂っ!」  掛布を引きはがされ、胸ぐらを捉まれ、無理やり引き起こされる。  ぼんやりとした視界の向こうには、怒れる母の冷たい目があった。 「あんた、今朝まかない所の当番じゃなかったかい」  脅すようなその口調に、昂は飛び起きる。 「やべっ、そうだった!」  掛布も敷布もぐちゃぐちゃのまま、昂は家を飛び出した。後ろで仁王立ちする母に、感謝を込めて叫ぶ。 「ありがとう、(らん)!助かった!」  はなまつりを無事終え、一応大人になったとされても、生業(なりわい)を決め、修行に入るまでは、まかない所の当番を外れることはできない。昂はまだどちらの親の生業を継ぐか、決めていなかった。  母である蘭は厳しい母親であったが、村人全員の胃袋を守るまかない所には、もっと恐ろしい人がいた。  まかない所の入り口に、その人を見つけ、昂の背筋は凍った。 「おはようございます、(さく)さん」  朔と呼ばれた老女は、ギロリと昂を睨んだ。  この人に逆らうと、美味しいご飯が食べられなくなる。だから、絶対に逆らうな。それが針森の村人の暗黙の了解であった。針森の村では、村人全員の食事を、まかない所が一手に担う。 「蘭のところの長男坊か。姿が見えないから、ようやく生業を決めたのかと思ったわ、ホレ」  あごで示された方を見ると、弟の(よう)と妹の(ゆう)が素知らぬ顔でノイをこねていた。  あいつら、起こしてくれてもいいのに……  何も言えないでいると、朔は早く入れとあごでしゃくった。そうしてゆっくりと調理場を回り始めた。  蘭に聞いたところによると、蘭がまかない所を手伝っていたころから、朔はいい歳だったそうだ。今ではかなり高齢なはずである。  しかし足腰しっかりと調理場を歩き回り、張りのある声で、他のまかない師や子どもたちを叱り飛ばす。全く、元気な婆さまだった。
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