Ⅰ 孵化

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 三人そろって家に戻ると、信とキースの姿があった。キースはアウローラ公国の織物問屋の若旦那で、蘭と寧の織物を仕入れに、たまに針森にやってくる。  彼の父親の代からの付き合いらしく、昂たちもキースには幼いころから慣れ親しんでいた。キースが来ると、信が必ず家に来る。それも、子どもたちがキースの来訪を喜ぶ一因になっていた。  夕から順番にキースが抱きしめていく。いい加減大きくなった昂と陽は、抱きしめられても気恥ずかしいが、嫌がったりはしなかった。 「大きくなったなぁ」  成長期の昂と陽に目を細める。 「陽は信に似てきたね」  面白そうに、キースが言う。確かに、とびきりの作り笑顔や、皮肉気に笑うところなど、信にそっくりだ。 「俺は?」  昂が何気なく訊くと、キースはまじまじと昂の顔を見た。 「蘭に似て、美形だね」  蘭に似て良かったねぇと続け、信と陽に小突かれていた。  それを見ながら、昂は思いついて、キースを呼ぶ。 「ねぇ、キースさん」 「うん?」 「キースさんって、アウローラ公国の都から来てるんだよね?」 「そうだよ」  こんなことを訊くのは初めてだった。村に入った時のキースしか、昂は知らない。村の外のキースに目を向けたのは、これが初めてだ。 「ここまで、どのくらいかかるの?」 「四日くらいかな。街道までは馬車で来れるようになったし」 「馬車」 「馬が車を引くんだよ」 「へぇ」  ピンと来ずに返事をする。針森には馬も馬車もない。  それきり黙った昂に、蘭が不信の目を向けた。 「どうしたの?昂」 「空に変なことを言われたんだよ」  答えたのは、陽だった。蜜茶を片手に、円座に坐り、すっかりくつろいでいる。 「変なこと?」  残りの人数分の蜜茶を盆にのせて、信が運んできてくれた。円卓に置こうとした手が止まった。 「生業が決まっていないのなら、空がガザに用事で行くから、一緒に来ないかって」  何を考えているんだろうね。  陽が首を横に振りながら言うのを聞いて、大人たちが顔を見合わせた。  あれ?と思ったのは、多分昂だけだった。  陽は蜜茶に目を落として、ため息をついていたし、夕はキースの土産に気を取られていた。  大人三人が見かわした目は、驚いたとか、呆れたという単純なものではなかった。何となく意味深な、その意味を問い詰めると何か余計なものが出てきそうな、嫌な感じがした。 「で、昂はどう思ったの?」  蘭が昂を振り返って、面白そうに尋ねた。  思わず、ビクッとしてしまう。  しかしその顔は、昂がよく見る普段の顔だった。 「どうって、突拍子がなさ過ぎて。大体、生業なんて、修行どころか決めてもいないのに、村を出ていいの?」  そう言う昂に、蘭は考え込む。 「ちょうどよかったじゃないか」  信は円卓に置いた蜜茶を一つ取ると、冷めた声で言った。 「どうせ、決まりそうもないんだろ?お前、知ってるか?陽と夕は、大人にもなっていないのに、もうやりたいことが決まっているんだぞ」  陽と夕がぎょっとして、信を見た。 「お前が決められないと、陽と夕が困る」  なじられて、昂は返す言葉もなく、立ち尽くした。 「一番上だからって関係ない。お前がグズグズしてたから悪いんだ。織師になるか、それが嫌なら、村を出た方がいい」  信は冷たく言い放った。 「ちょっと待ってよ。俺たち、まだ決めたわけじゃ」  陽が焦って言うのを、信は一瞥した。 「そうして、甘やかせて、昂がいつまでたっても決められなかったら?大体、十六歳になったら生業を決めなくてはいけないことは、子どものころから分かっていたことだ。それを決められないから待ってくれというのは」  一度も昂の方を見ようともしない。ゆっくりと蜜茶を一口飲んだ。 「ただの甘えだ」  昂はくるりと皆に背を向けた。すごすごと去るのはみっともないと思いながらも、何か言ったりしようとすると、涙が出そうなので出来なかった。  自分の寝床に足早に向かう。  いつもこうだ。十六歳にもなって、父親に反抗すら出来ない。  信は優しい父親だったが、ひとたび怒らせると恐ろしかった。暴力を振るうのではないが、冷たい怒りを浴びせられる。まだ怒鳴りつけてくれた方がいい。  容赦がない信をいつも蘭は窘めてくれたが、そう言えば今日は何も言わなかった。  沸騰した頭でそのことに気が付いて、昂は寝台に顔を埋めた。
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