煙草

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日本語を見つめ直してみたい、それが当時の私が抱いた思いだった。 散々グローバル化だ、英語だと騒がれる世の中で、何とも流れに逆行した考えを持ったものだと今でも思う。 しかし、在学中の4年間は非常に充実したものとなった。 高校最後の年に奮起して、推薦を勝ち取り、進んだ先で私は自分の興味関心をとことん掘り下げた。 結果、得たのは日本語を客観的に捉える視点ともう一つ、コミュニケーションへの苦手意識である。 前者については特に問題はない。 細やかな説明は長くなるので省くが、現在の私の価値観や考え方を構成する土台となっている。 喜ばしい事である。 重要なのは後者である。 日本語を専攻した私は多角的に日本語を分析する中で、必然的にコミュニケーションについても学んだ。 相槌、アイコンタクト、間の取り方、雑談の持つ意義、言外の事柄がもたらす会話への影響、場面設定、察する文化、などなどなど。 卒業を迎える時、私はコミュニケーションの達人になっているに違いない、そう思った。 だが、蓋を開けてみればどうしたことか。 私はコミュニケーション下手になっていた。 コミュニケーションにおける所作や法則、その他諸々を学び尽くした結果、私はどうしようもない疑い癖を身に付けてしまったのだ。 他人の何気ない言動に幾つもの意味を常に推測し、自分の言動にはどんな意味をが乗っかてしまうのかを常に気にしてしまうようになった。 以来、私は他人と話すことが億劫になってしまったという訳である。 (しゃあない、行くか。) 私は煙草を灰皿に擦り付け、喫煙所を出た。 コツン。 ほんの少し歩いた先で、何かが私の靴に当たった。
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