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「ルウ。例の物は届いているか?」
そんな、九朗の気持ちがわかっているのだろうか、タイラーはルウに対して言葉を投げかけながら九朗の肩にそっと手を置いた。
「はい。既に搬入してあります。中身は言われた通り開けておりません」
ルウは答えながら、九朗を自動車から降りるときに導いたように自動車が並べられている奥へと腕を示して見せた。
見ればルウのその上着の袖はタイラーのそれのように装飾が施されていない。どうやら、タイラーの着る軍服は特別な意味を持つようだ。タイラーは九朗の肩を持ったまま、「さあ、こっちだ」と九朗を導いた。
九朗は促されるまま3人と共に奥へと進む。そこは格納庫の端にある大きな箱の前だった。六畳間の一部屋位ならすっぽり収まってしまうような大きなコンテナが、九朗たちの前に観音開きの扉を閉じたまま鎮座していた。
「エアロック式のコンテナですね」
言いながら、パラサはコンテナの扉に手を触れながら続けた。
「宇宙歴の初期頃の物のように見えますが……」
パラサの言葉を信じるのであれば、この箱自体が3500年を経た代物であるという事である。
「恐らく、宇宙歴に入ってから中身を移し替えてくれたのだろう。なんともサービスのいいことだ」
タイラーは言いながらコンテナの開放ノブに手を掛けようとして、一度手を戻した。
「クロウ君。実はこのコンテナは君の物なのだ」
「?」
言われて、九朗は今言われた意味がよくわからなかった。このコンテナが九朗の所有物であるとタイラーは言った。
この4000年もの未来に自分の物が存在すると言われても実感としてわかなかったのだ。
「言っている意味はこの扉を開ければきっとわかる。私は今、とても酷なことをしているのかもしれない」
言いながらコンテナのドアノブを、タイラーは九朗へ向かって指し示した。
「この扉を開けてしまえば、君はきっと後戻りできなくなるだろう。それでも君はこの扉を開けるかい? その最初の意思を私は尊重したい」
九朗はぐっと息を飲む。
「正直、艦長の言っている事を全て信じても、僕にはまだ何が何だか整理できていないのです」
一歩前に足を踏み出して、九朗はそのドアノブを掴んだ。
「だから、知れることは何でも知りたい。本当に僕自身が遥か昔に死んでしまったというのなら、今生きている間に精一杯生きたい!」
そして掴んだドアノブを九朗は思いっきり下へと引き切った。
プシューと、空気の抜ける音がして、観音扉のドアが自動で左右へと開いた。コンテナの中は真っ暗であったが、ドアが開き切ると同時にコンテナ内に自動で照明が灯った。
「あ……」
コンテナの中を見て、九朗は思わず喉から声を出してしまっていた。コンテナの中には九朗が17歳まで過ごした部屋があったのだ。
九朗に取って8年前まで兄と共に過ごした部屋だった。兄が高校を卒業する際、当時小学生だった九朗に自分は下宿をするからと丸々譲ってくれた部屋だった。
それまで一緒に遊んでいたテレビゲームも、兄がコレクションしていた漫画本も、兄と一緒に集めていたアニメのDVDも全てがこの部屋には詰まっていた。長期の休みや、暇を見つけては、兄はこの部屋に帰ってきては自分と過ごしてくれた。
10歳近くも歳は離れていたが、いや、離れていたからこそなのか、兄は何よりも九朗を第一に考えてくれる人だった。
その九朗と、兄の部屋が、今4000年の長い時を経て九朗の目の前に当時のままの姿でそこにあった。二人で使った二段ベッドも、本棚も、勉強机も、壁の中の収納までそのままの姿で。
「な、んで?」
諦めていた日常の片鱗との思わぬ再開に、九朗はふらふらと部屋の中に入った。よくよく見れば、さすがに所々が自分の部屋とは異なる。壁紙や窓にかかっていたカーテンなどはない。
そもそもコンテナであるので、窓はあるはずもなかった。それでも、この部屋にはなるべく当時のままでこの部屋を再現して保存しておこうという何らかの意図が感じられた。
ふと、九朗の目に勉強机に置かれた便せんが目に留まった。
便せんには、兄の名前である八郎の文字と九朗にあてた宛名が書かれていた。
『八郎と九朗へ』
その文字は、九朗の母の筆跡だった。
九朗は震える両手で、便せんをそっと持ち上げ、間違ってもそれを傷つけないように細心の注意を払いながら開封した。
『八郎と九朗へ、二人が死んでしまった時、私達夫婦には何も残りませんでした。二人はどこに出しても恥ずかしくない立派な息子たちでした。もし、後世にこの手紙を読む人が息子たちではなかったとすれば、きっとバカな夫婦だと笑うかもしれませんね。それでも私たち夫婦には息子たちを失った事を認めるなんてとても出来なかった。冷凍葬という後世に遺体をそのまま残して、医療が発達したら二人を生き返らせるという埋葬方法を聞いた時、私達夫婦にはそれにすがるより他に無かったのです。だからもし、この手紙を読んでいる貴方が息子たちでは無いのであれば、この手紙を戻して頂けないでしょうか? 幾星霜、息子たちが生きてこの手紙に触れるその瞬間まで』
九朗は震える左手をそっと口元へと持っていき、力いっぱい口を押えた。そうでなければ嗚咽する声を抑えられそうになかったのだ。
抑えた左手の上から流れ出た涙が、左手を伝ってとめどなく流れ出た。
『八郎、九朗、ごはんはちゃんと食べられていますか、寒くはありませんか、お母さんは心配です。あの事故の後、八郎は九朗を庇って左腕と下半身がぐちゃぐちゃになっていたそうです。庇われた九朗も、足の膝から先は両足とも潰れていたそうで、お母さんにはお父さんが遺体を見せてくれませんでした。きっと未来。二人が生き返るほどに医療が進んでいるとしたらどんな形でもいい、二人が不自由しない体で生き返ってくれていると信じています。
九朗、幼馴染の美月ちゃんの事を覚えていますか、隣の家に住んでいた九朗と同じ歳の女の子です。二人の葬式の時の彼女の取り乱しようは尋常では無かったのですよ、特に九朗。それに関して、お母さんはとても怒っています。九朗、あんなに取り乱すほどに想われておきながら、それに応えてあげていなかったの? ましてや、そんな美月ちゃんを置いて逝ってしまうなんて、女の敵よ? もし、生き返ったのなら今度は絶対に女の子を泣かしてはだめ。九朗は、これは美月ちゃんと絶対約束してあげてね。美月ちゃんは貴方を追って逝ってしまったのだから』
手紙の文体が乱れていた。母も泣きながらこれを書いていると九朗も悟った。
そして、心の中で自分たちを追ってしまった幼馴染を心の底からなじった。精一杯生きて、自分たちよりもずっとずっと幸せになっていて欲しかったのに。その幼馴染は自分たちを追って自らその命を閉じたという。
『八郎、お前には苦労をかけました。東郷平というお父さんの珍しい名字にあやかって、八郎と名前を付けてしまったから、相当からかわれていましたね。お前が成人したら名前を変えるんじゃないかってお母さんは言っていたけれど、それを心配していたお父さんに、日本軍の後輩たちである自衛隊に入れば少しはマシであろうなんて笑って。防衛大学校に入ってくれた時、お父さんはとても喜んでいましたよ。九朗をいつも気にかけて、大事にしていたお前は本当に何をやっても上手で、立派で、自慢の息子でした。でも、もし、生き返っても弟にかまけて婚期を逃したら、お母さんは怒りますよ。お前もお前の幸せを必ずつかんでください』
九朗の兄である八郎のフルネームは東郷平・八郎。父方の名字である東郷平と日露戦争時の英雄の東郷・平八郎にあやかって、立派な人になるようにと父が付けた名前だった。
その名前は当時古風だったこともあって、兄は散々にからかわれた。それでも、兄はあっけらかんとしていたし、自分の名前に誇りも持っていた。『まあ、英雄とまでいかなくとも、立派な人間にはなりたいね』なんて兄は常々言っていたものだ。
自分の名前も兄の名にあやかって九朗と名付けられた。これまた同級生からや周りの人たちからはからかわれたが、九朗も兄を見習いやり過ごしたのだった。
『九朗。八郎が優秀だから、お前には余計な期待をかけたんじゃないかと、お母さんは少し後悔していました。お父さんも同じように思っていたのですよ。それでも、お前が道を外れるようなことをせず、八郎と仲良く、むしろ八郎を尊敬してその言葉をきちんと聞いて育ってくれた。立派な息子だったとお母さんもお父さんも、本当に誇りに思っています。八郎を見習い過ぎるあまり、ストイックに剣道や武術に打ち込んで、美月ちゃんを悲しませたことはお母さんも、お父さんも許してはいませんよ。美月ちゃんのご両親は、美月ちゃんが亡くなったときにお母さんとお父さんを一言も責めませんでした。美月ちゃんも冷凍葬になったのですよ、お前たちの近くにちゃんと居ますか? 居なかったら、命を懸けて探しなさい。八郎は近くに居ますか? 居たら仲良くするのですよ』
九朗の近くには美月も八郎も居なかった。
九朗はぐっと奥歯を噛む。二人を探さなければ。
脅迫観念のような強い意志が九朗の中に目覚めた。いや、これは九朗にとっての希望そのものだった。
もしかしたら、二人には生きて会えるかもしれない。
そんな淡い、叶うかどうかも分からない微かな可能性に縋るより他に、帰る場所もない九朗には無かったのだ。
『最後に、八郎と九朗が大切にしていたこの部屋を。二人のために残します。いつか二人と美月ちゃんがこの部屋を懐かしむようなそんな瞬間がどうか来ますように』
九朗の母の手紙は、そんな言葉で締めくくられていた。
「ぐぅうううっ!!」
九朗は渾身の力を込めて嗚咽を噛み殺していた。
「クロウ君、無理をするな。泣け! 男は両親と大切なものを無くした時のみ人前で取り乱して泣いていいのだ!! 誰も君を笑ったりしない!」
タイラーはそう言いながら九朗の肩をきつく抱き留めた。そうしないと、目の前の少年が今にも消えて無くなってしまえそうにタイラーには思えた。
「ぐ、ぐああああああああああああああ!!」
タイラーに言われたからという訳ではない。九朗にも最早我慢できない程、彼の中で感情が渦巻いていた。
九朗は母からの手紙を抱きしめ、タイラーに抱き留められながら渾身の力で慟哭した。そしてこの瞬間、自分が本当に遥かな時代を超え一人ぼっちになってしまったことを悟ったのだった。
「すまなかった、つらかっただろう」
タイラーは九朗を抱き留めながら九朗の背をさすっていた。そんな男二人をコンテナの入り口から少女二人は眺めながら、かける言葉を見つけられずにいた。
行き場を永遠に無くした少年にかける言葉など、彼女たちの人生の中から見つけられる筈もなかった。
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