午前三時の秘密

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午前三時の秘密

 私は尿意を感じ、珍しく眠りから目を覚ました。寝ぼけ眼で傍らにある目覚まし時計に目をやると、午前三時前を示している。  眠い老体に鞭を打ち、寝床に張り付く身体を無理矢理起こして、寝室を出た。暗い廊下を通って階段を降り、一階にあるトイレへ向かう。  一階に降りた私は、トイレとは反対側にある、妻が寝ている和室があるほうの廊下から、淡い光が漏れていることに気が付いた。こんな時間に妻が起きているのかと気になった私は、光に誘われるように和室へと向かった。  その部屋は障子によって、縁側へとつながる廊下と仕切られている。私はその障子から透けている光の中に、奇妙な動きをしている人間のシルエットを見た。  不気味に思った私は、ほんの少しだけ障子を開けて、中の様子を覗いてみた。するとそこには、私の想像を超えた奇奇怪怪な光景が広がっていた。  頭まですっぽりと覆われた全身黒ずくめの服装に身を纏った後姿の妻が、身体を大きく使い、ゆっくりとした動きで幾通りもの動作を行っている。どうやら彼女はテレビの画面を見ながらそれを行っているようだ。テレビと妻、そして私は一直線上にいるため、テレビに何が写っているのかはここからでは見えない。  そして部屋中のいたるところに、たくさんのろうそくが灯っている。その代わりに、天井の電灯は点いていなかった。ぼんやりとしたいくつもの小さな光が、奇妙な動きをしている黒ずくめの妻を怪しく照らし出していた。  その謎に満ちた光景は、私に恐怖を与えるのには十分過ぎるものであった。障子をそっと閉めると、そそくさと用を足し、できるだけ物音を立てないように忍び足で階段を上がり、自室へと戻った。  寝床に入ると、早鐘を打ち続ける心臓を落ち着けるためにも、先ほどの妻の行動について思考してみた。  私はこれまでの人生の中で、先ほどと似たような光景を何度か見たことがあった。しかしそれは直に見たわけではなく、ときにはテレビで、そしてときには映画館のスクリーンや本の中で見たものだった。  それは西洋を舞台とした作品中に登場する、魔術によって人に呪いをかけるような場面であった。少なくとも私の記憶の中には、先ほどの光景と合致するものはそれしかなかった。  もし妻が私に呪いをかけようとしているのだとしても、私にはその心当たりがなかった。  私が妻である幸子と結婚したのは、今から三十年ほど前であった。『ほど』というのは、私がもうそのことをはっきりと覚えていないのである。それほど私は妻に、そして夫婦というものに対して無関心になっていた。  私が半年前に定年を向かえ、一日中家にいるようになっても、ふたりの間にはほとんど会話などなかった。しかしそれは私にとってまったく苦痛なものではなかった。むしろ夫婦などどこもこんなものだろうと思っていた。だから自分が妻に呪いをかけられるほど恨まれているなど到底思えなかった。  そもそもいい年をして本気で呪いなどということに思いを巡らせていること事態が馬鹿らしくなってきた。そういった考えが脳を支配すると、次第に私は睡魔に襲われ、ほどなくして深い眠りに就いたのだった。
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