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水溜まりが広がりそうな空模様にて・①
その剣道場はいつもよりは静かだった。
音は、屋根を打つ雨の音ばかり。窓を眺めれば、たくさんの水滴が地面を打つ光景のみ。
遠くへと眼をこらしてみても、既にほとんど帰ったのか、傘を指す生徒すらいない。
校舎からは、まだ残っているようで、職員室からの明かりが漏れる程度だった。
剣道場で横たわるのは三人。それも、入りたての一年の女子であろう。剣道着はすでに着替え、6月の衣替えにより半袖の白Yシャツでスカートのいわゆる夏服の出で立ちをしている。普段なら、まずありえない光景であり、即カミナリが飛ぶことだ。しかし、そのような気配もない。
「しっかし、ホントジメジメするわねぇ……。帰る気にも、ならないわよ!」
ツンケンしていて言の葉が強い、いかにもな女子がしゃべる。それも、外の天気によりことさら機嫌が悪いようだ。
「あらあら、まあちゃん、ご機嫌ナナメ一直線じゃなぁい? イライラは、お肌をワ・ル・くしちゃうわよぉ」
と、一年とは思えない色気を持つ女子が返す。
その2人の応酬に対して、ふふっと笑う、一房の三つ編みが特徴の女子が一人。
「ボクも気持ちはわかるよ。こう、ジメジメが長く続くとね……」
「ほら、そうじゃない。さっすが、中学からの友人はわかってるわね! 美澪」
「でも、真朝ほど、鬼の角ははえてないかな? ほら、しまってしまって」
「あんたは、どっちの味方なのよ!」
ツンケン女子に対して、残りの2人は微笑む。
「ああ、そういえば、中間テストどうだった? ボクは、まあ、上出来かなと」
「って、スルーなのね。私は、あー、問題なし。ちょっと、英語しくったけれど、赤点じゃないから追試免れただけでも。いいんじゃないかしら。由姫は?」
「それがねぇ。数学! すっごく自信があったのにねぇ。ケアレスミスがあって99点」
「え、すごいじゃないか」
「え、それすっごくない?!」
色っぽい女子の発言に口をそろえて驚く二人。彼女らは初めて聞いたようで、意外な得意科目に面を食らったのだ。
「だけど、くやしいのよぉ。うわさだと、数学100点を取った人がいるでしょう。それも、証明問題や、答えの導き方がものすっごいパーフェクトで、非の打ちどころがないんだって」
「上には上がいるんだね……」感心する三つ編み女子。
「次こそ、次こそは勝ってみせるわよぉ」
「あー、ハイハイ頑張れー」と、ツンケン女子は手をひらひらする動作をして、気のないエールを送った。
これが、彼女達の日課。剣道部のしきたりで一年生が最後に剣道場を掃除する決まりになっており、上級生や、同輩がいなくなった後、三人でだべったりするのあった。この時が、三人の中で一番の至福の時。話すことといえば、やはり学校の噂話や、部活、授業の愚痴、ひいては恋愛話など、多岐にわたるものであった。
別に、議題があるわけではない。話題に出した内容も、大きく脱線して、突拍子もないところへ行く。
でも、彼女達は、それも楽しかった。
ツンツンしている女子が、「村瀬真朝」。
『艶やか』という言葉が似合いそうな、不思議な色っぽさを持つ女子が「初花由姫」。
そして、一人称が『ボク』でかわいいと凛々しいが織り交ざったような三つ編みの女子が「時任美澪」である。
三人とも、剣道部に所属している。
中でも美澪は、中学時代において全国大会で優秀な成績を残しており、天ヶ原女子高剣道部の期待のルーキーとまことしやかに噂されるほどだった。
「そういえば、美澪。アンタ、あれから大丈夫なの? 病院送り騒ぎがあったのに、すぐに復帰しているし」
「先月の集団ヒステリック事件……だったわよねぇ。二人みーちゃんが巻き込まれてたなんて驚いたわ。大丈夫? お姉ちゃん心配しちゃう」
「同い年でしょうが!!」
「2人とも、おもしろいね」
「アンタの心配してんのよ!」
真朝の容赦ないツッコミに苦笑いしつつ答える。
「だ、大丈夫だよ。大丈夫。二人が心配するほど問題ないよ。いろんな知らないあざとかもあったけど、倒れた時になにかしら転がってぶつけただけだろうって、診断されたから。そもそも、あの事件に巻き込まれたけれど、変なガス吸い込んだとか、病気が原因というような、特に問題らしい問題はなかったよ」
「まあ、みーちゃん自身がそういうなら、大丈夫でしょぉ。それとも、なーに? まあちゃん、いろいろとあーんなことやこーんなことお世話したかった?」
「ち、違、あーもう!!」
と、にっちもさっちもいられず叫ぶ真朝。その光景に2人はくすくす笑う。
先月あった、集団ヒステリック事件。ある一部の女子生徒が集団で意識を失い、倒れたと大騒ぎになった。救急車が呼ばれ、多くの女子生徒が運び込まれて一時騒然となったという。
不思議なのは、被害者だけでなく全校生徒のほとんどがその時期の記憶があいまいとなっていたこと。学校に来たという意識はあったが、その日の1日、ひどければ一週間の行動を事細かに覚えていないというのだった。
鮮明になるのは、被害者達が救急車で運び込まれる騒ぎになってからだった。なんとも、不思議な事件であったとされる。
事実、ある一人の少女の、故意の「女子力」の暴走による事件の一部であったが彼女たちは知る由もない。
『女子力』。それは、一部の者たちが存分に『気』のようにコントロ―ルし、常識では考えられない特殊な力で行使できる能力の総称。
例えば、その場で燃やしたり、人やモノを操ったり、果ては破壊することそのものであったりと…。
どこかに使い手がいると噂がされているが、本当にいるかどうか眉唾物と、美澪は考えていた。いや、信じていなかっただろう。あの時までは……。
雨脚はさらに強くなっていく。もう、これ以上留まると帰れなくなってしまうだろう。それに気づいた由姫は2人に声をかける。
「そろそろ、帰れなくなるんじゃないかしら。ずぶぬれになっちゃうわぁ」
「アンタ、それが望みじゃないの?」
「そんなわけないじゃない」
美澪は2人をよそに、雨の筋をぼーっと眺めてしまう。
実は、美澪は雨の雰囲気自体は好きだった。ただ雨の音を聞くだけで、心が洗われるようだった。音を聞くことで心の調律も調えられるよう。しとしととざぁざぁの間で落ちる雨。あの雨の一滴はもし、刀を持っていたら斬れるものだろうか。
「――――なんてことをかんがえているんだ。ボクは」
と、自分の思考に小さく笑い飛ばす。
「――――? 美澪?」
と呼びかけられ、声の主の方へと向く。
「何やってるのよ。ぼっーっとして。それとも、まだ残る?」
「ううん、一緒に帰るよ。ごめんね」
「そうよぉ。あの事件だけじゃなく。最近ここら辺てアブナイって聞くじゃない? ほら、いろいろと不良集団というか、通り魔があるって聞くし」
「あ、聞いた。それも、結構ボッコボコにされているアレでしょ? 男女問わずね。ヤバすぎでしょあれ」
帰り支度を終えた真朝が言う。
「そうよねぇ。2人が、そんな目に合うのって、心配しちゃうわぁ」
「いや、一番アンタが危なすぎるわ。色んな意味で」
「そう?」
と剣道場の道具や、物品を元の位置に戻しながら由姫は答える。
「そうだね。ボク達も危ないけど、由姫が一番心配だね」
鞄を持った美澪が言う。
「あら、そんなに魅力的?」
「どんだけ、ポジティヴよ」
「ポジティヴだなぁ」
3人は、戸締りを確認し外に出て、鍵を閉める。あとは職員室に向かい、鍵を返すだけ。
「そういえば、あの白坂公園の暴れた跡あるじゃない? あれも、通り魔とか、不良集団の抗争だったりして?」
とたん、美澪が見たあの光景が頭の中でよぎる。夕方の帰り際に見た公園での出来事を。
「違うよ」
何気ない真朝の問いに、ピシャリと美澪は異を唱えた。
「ず、ずいぶん、はっきり言うわね」
「あ、いや、あれは違うと思うよ。通り魔にしては派手すぎるし。不良集団にしては、なんかこう、違う気がする。なんとなくだけど」
2人の少女の壮絶な戦い。ぶつかり合う意志。アレが噂の……。
真朝と由姫が先に行く中、美澪は唐突に立ち止まり、そしてはっと思いついた。
「そうだ。2人に言いたかったことがあるんだ」
「いきなり何?」
「え? どうしたの?」
雨の中、傘をさして振り返る2人を見据えて美澪は言った。
「同級生の宮原みもりさんって知ってるかな。その子が……ほしいんだ」
美澪自身の記憶にある、最後まで立っていた少女の名を挙げた。
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