わたしの生存報告

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わたしの生存報告

 砂嵐のような雑音が絶えずポータブルラジオのスピーカーから流れてくる。  わたしはそれを折れそうな細い手で掴んで、頭上に(かか)げ、その時を待つ。  強い風が幾度も抜け、亡くなった母親のリボン付きの深緑のワンピースの袖口が大きくはためくけれど、じっと堪えてその僅かな時間を待つ。  思えばいつもわたしは待ってばかりだった。  この世界になってからバッサリと耳の後ろまでの長さに切ってしまった髪も、以前は背中でちくちくとするまで放っておいた方だった。 「あ……」  周波数が変化する。  空はずっと灰色と紫の混ざった雲が細くなってもの凄いスピードで流れていくのに、その瞬間だけ、世界を二つに割ったみたいに青空が(のぞ)く。  刹那(せつな)、彼の声が流れ出す。 『ただ今三時。みなさん、元気ですか? 僕は今日も生きてます』  けれど彼の声はすぐ砂嵐に呑み込まれて、あと十二時間は聴こえない。  わたしは脱力したように持ち上げていたラジオを下ろすと、細い鉄の棒が突き出したコンクリ片に座り込み、へたって顔を(おお)う。  それは毎日三時にだけ流れる、名も知らない誰かの生存報告だった。  ずっと瓦礫が広がる先に濃い紫色の波が迫るのを見やり、わたしはただ溜息をついた。 ◆ 「ただいま」  十度くらい斜めに入り口が(かたむ)いた建物の中に入ると、補修作業中だったカーキ色のエプロン姿の伯父が軽く手を挙げて出迎えてくれた。 「今日もラジオ入ったの?」  小さく(うなず)くだけで言葉は返さない。  懐中電灯にもなるというポータブルラジオは元々は伯父の持ち物だったが、電波障害で(ほとん)ど使えなくなったからと、わたしにくれたものだ。赤い毛糸を輪っかにして通し、首からぶら下げて無くさないようにしている。 「一応ぼくらも他のコミュニティと連絡が取れないかと思って無線飛ばしたりはしてるんだけどね、どういう訳だかあの日以来さっぱりなんだ」 「三時でも?」 「そのわずか数秒の間に上手く互いに送受信しないといけないから、ちょっと難しいって話。こんな状態でずっと電源入れておく訳にもいかないし」  病院だった施設の一階は辛うじて残っていたが、ホールやそこから伸びる通路には、怪我をしたり疲れて横になる人で溢れ返っているのが見える。 「炊き出し手伝ってくるね」 「ああ」  片方のレンズが外れた眼鏡で、伯父さんは笑う。あの日以来、わたしの周りの大人はみんな笑顔を標準顔にしているように感じる。  途中少し屋根が崩れた廊下があり、そこを超えると大きなキッチンが現れる。電気ではなくガスで火を扱うようになっていたから助かったと、給食センターを首になった紀藤弥生(きとうやよい)が言っていた。 「あら糸ちゃん。今日の放送終わったの?」 「ええ。無事に」  わたしの返事に弥生さんはにっこりとする。  彼女は少し丸くなった背で両手を使って巨大なスチール寸胴の中身をかき混ぜていた。 「カレーですか?」 「色と風味だけね。もう一月になるけど、こっから先もこのまま救助隊だの何だの来ないとしたら、本格的に自給自足考えなきゃならないしね」  最近は中身がほとんどないスープ状のものばかりで、備蓄庫は綺麗に空っぽだと聞いている。誰もが不安なことは分かっていたから、余計に自分がまだここにいることが、いたたまれない。  バンドで覆った左の手首が、時折酷くヒリヒリとした。 「それじゃあじゃがいもの皮むきお願いしようかね」 「分かりました」  スチールの長机の上の段ボール箱から拳大の芋を取り出すと、ピーラーを動かし始める。  何かをしていれば、何も考えなくていい。  けれどどうせ剥くなら玉葱の方が良かったと、目元を(こす)りながら思った。
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