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危険なことはしない、無理だと思ったらすぐに帰ってくる。あとは決して自分で命を絶とうとしないこと。
その三つの約束を伯父さんとして、わたしはかつて東京と呼ばれてた土地へと向かって旅立った。
背中には伯父さんが餞別にとくれた登山用のしっかりとしたカーキ色のリュックを背負い、その上に寝袋が乗っている。非常食は何とか五日程度持たせるつもりでいたが、水は既に一本が空になってしまっていた。生水は煮沸しないで飲まないよう言われたけれど、このままだと構わずに飲んでしまうかも知れない。
最初の日は傾いた駅舎の中で震えながら一晩を過ごした。
そんな状況でも帰る気にならなかったのは、午後と午前の三時に、彼の生存報告を聞くことが出来たからだ。
今日も彼は生きている。
ただそれだけのことが、こんなにも疲れた心と手足に力をくれる。
病院を出てから五日目だった。
わたしの目の前には大量の水とそこから伸びる傾いたビル等の建物が映っていた。
そこはかつてこの国の一割以上の人間が生活を送っていた場所だったが、大災厄と呼ばれた謎の電波障害を発端とする未曾有の大災害により、その多くが失われたと聞いている。
実際に目にするまで半信半疑な気持ちがあったけれど、人の声どころか小鳥の囀りすら響かない、静寂の瓦礫の海を見て、現実だと受け入れるしかなかった。
リュックから地図を取り出してどこにそのタワーがあるのか確認しようとしたけれど、あまりにも地形が違い過ぎて全然参考にならない。
折角ここまでやってきたのに、正直「どうしよう」という感情しか出てこなかった。
それでも歩ける場所を辿りながら、わたしは進んだ。
「あ……」
横倒しになったビルの壁面を歩いていると、遠くにボートから網を投げている人がいるのが見えた。
すぐに大声を出して呼びかけたのだけれど、久しぶり過ぎて何だかガラガラの掠れ声にしかならない。
「す、み、ま、せーん!」
それでも何度か続けているうちに気づいてもらえたようで、
「あんたも生き残りか?」
ボートを近づけて話しかけてくれた。
「甲府から来たんですけど、赤い電波塔ってどこにありますか?」
「へえ、山梨の方からここまで? あっちは無事だったんだ」
それに苦笑して首を横にすると、男性はバツが悪そうに「すまない」と謝った。
わたしはラジオ放送のことを手短に伝えると、その男性は頬の無精髭を掻きながら「もっと東だね」と教えてくれた。
「一応ここ、元は多摩川って呼ばれてた川だったんだが、今じゃこの有様。聞いた話じゃ、東京湾付近は壊滅的な状況で、おそらく旧東京タワーも無事じゃないんじゃないかなあ。オレには分からんけど」
「ありがとうございます」
お礼を言ってからアーモンドチョコレートをひと粒分けてあげ、わたしは再び歩き出す。
それからも時々人に遭遇した。彼らはそれぞれに優しく教えてくれて、わたしはその度にお礼のチョコレートを分けて感謝した。
チョコの箱の中身がすっからかんになった頃、わたしの目はやっと遠くに目指す赤いタワーの先端を捉えることができた。
あそこまで行けば彼に会える。
ただそれだけのことが、へとへとになった体を突き動かしてくれた。
押し流された大量の車の屋根を伝ってそのタワーが立っている根本までやってくると、日焼けした男性が一人、その入り口の前に立っていて、わたしの存在に気づくと掛けていたゴーグルを上げ、目を細めて怪訝な表情を浮かべた後で、
「何?」
素っ気ない呼びかけをわたしに投げた。
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