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その男性は島航大と自己紹介してくれた。この近所でキャンプを張っていて、今からこの鉄塔の上ですることがあるらしい。
わたしはところどころが錆びて脆くなった階段を一段一段上がりながら、幾つかの染みがそのままになっている白シャツの、筋肉質な背中を見上げていた。千切れた袖から伸びるがっちりした右腕には擦り傷が見えたが、それはわたしのように自分で付けたもの、という訳ではない。
「無理して付いてこなくていいんだけど」
途中の踊り場で立ち止まって振り返った彼は、息の荒いわたしを一瞥する。
「いきます。大丈夫ですから」
一秒くらいじっと見たけれど、何も言わずに背を向けて再び彼は登り始めた。
階段は大展望台まで六百もあるらしい。そこから先は更に梯子を登ることになると言っていた。
「あ、あの」
ちょうど真ん中を超えた辺りで、思い切って声を掛けてみる。
彼は少し歩みを緩めたが、振り返ったりはしない。そのままリズム良く赤い塗装が部分的に禿げた階段を登り続ける。
「わたし、ここまでずっと、ある人のラジオ放送だけを支えにやってきたんです」
もしかしたら、という予感だった。けれど島航大は歩みを止めることなく登る。そこには何が起こっても揺るがないという彼の信念めいた決意を感じ取ることができた。
心臓が高鳴る。
苦しい。けどそれは、生きているからこそ感じられるものだ。
「もうすぐ三時になるからですか?」
彼は答えない。
顔を上げると、彼の背の先に灰色の大きな扉が見えた。
彼はドアの前で立ち止まってわたしが上がるまで待つと、何か言いたそうな顔を向けた後で、ゆっくりとドアノブを回した。
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