わたしの生存報告

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 一時間ほど、彼が空き家から運んできたというパイプベッドの上で目を閉じて休ませてもらった。  ずっと慣れない一人旅と寝袋での睡眠は思いの外、自分の体を疲弊させていたみたいで、いつものように両親が亡くなった時の夢を見ないままぐっすりと眠り込んでしまった。  パチパチ、という何かが焼ける音と共にその(かぐわ)しさが、胃袋をきゅっと締め上げた。 「起きた?」  外はすっかり夜で、バラックの外では彼が焚き火をしながら串に突き刺した魚を炙っていた。 「それ、何ですか」  もそもそとベッドから起き出して焼かれている魚を見たが、秋刀魚や(さば)(さけ)のような、わたしの家庭でよく出ていたものとは全然違う。 「イサキと、今日はカワハギが取れた」  顔のむすっとした方がカワハギで釣るのが大変なんだと言われたけれど、魚釣りの経験がないわたしにはよく分からなかったし、カワハギは少し見た目が恐いなとしか思えなかった。  それでも「旨いんだよ」と言われ、串に刺さったそれを受け取ると、一口皮の上から(かじ)りつく。  久しぶりに食べるちゃんとしたものだから、という訳ではなく、口の中に脂のよく乗った塩味が広まると、自然と涙が滲んでしまう。 「そんなに旨かった?」  わたしは口の中にカワハギを入れたままただ首を横に振ることしかできず、(しばら)嗚咽(おえつ)しそうになるのを(こら)えながらそれをよく噛んで呑み込むと、彼に向き直った。 「生きてるって、改めて思っちゃったから」  それからわたしは彼に自分が一度自らの命を絶とうとしたことについて話した。  左腕に巻いたバンドを捲ると、そこには無数の躊躇(ためら)い傷に混ざってくっきりと赤く腫れ上がった線が目立つ。かつてわたしが命を諦めた跡だった。 「大災厄で両親が亡くなって、大好きな友達もみんないなくなって、あの日、わたしの世界は終わりました」  彼はわたしの告白をただ黙って焼けたイサキを齧りながら、相槌(あいづち)もなく聞いてくれた。 「何をしても生きてる心地がなく、食べることすらどうでもよくなって、ただ朝と夜を繰り返すだけの日々を、さよならしたくなったんです」  目を閉じれば、今でもあの時のことを映像付きで思い出せる。  自分で命を絶とうとしたところを助けられ、それでもまだ何度も諦めかけていた時だった。ずっと砂嵐が聴こえていたのに、それが一瞬晴れた。  見上げた空は久しぶりの青で、そんなわたしに彼の声が降ってきた。 「どこまでも抜けていくような綺麗な男性の声でした。ただ今三時。みなさん、元気ですか? 僕は今日も生きてます。たったそれだけの、けれどわたしにとっては枯れかけていた心に触れて水を注いでくれた、命の言葉でした」  そこまで言うと彼は初めて頷きを見せ、わたしがずっと尋ねたいと思っていた言葉を口にするのを待ってくれた。 「あなたがその、生存報告の彼じゃないんですか?」  彼は黙っている。 「さっきそのラジオ放送をしに、タワーに登ったんですよね?」  何かを考えるように手にしたイサキの串を地面に突き刺すと、小さく溜息を切る。 「違うん、ですか?」  彼はじっとわたしを見てから、最後の質問にだけ一つ頷いた。 「それじゃあさっきは何をしていたんです? あなたが放送したんじゃなかったら何だって言うんですか? わたしはあなたに会う為に、あなたに会ってわたしも生きてますって伝える為だけにここまで来たんですよ!」  目の前のこの男性がその人であって欲しいという、わたしのただの願望だということは理解していた。けれどそれでも僅かな偶然と奇跡に(すが)りたかった。だってそうでもしないと、わたしはただの馬鹿な人間じゃないか。 「彼は……大垣条志(おおがきじょうじ)はもういない」  その言葉で、心臓が止まりそうになる。 「大垣条志は俺の仕事の先輩でね、みんなからはジョージって呼ばれてたよ。彼はあの大災厄の後に集まった人々の希望の柱になってくれたんだ。さっき話したと思うが、あんな状況で誰もがそれぞれに手を取り合って助け合える、なんて理想はここにはなかった。強い者が弱い者から奪い、暴力によって支配され、絶望して命を絶つ人間も沢山いた」  淡々とした語り口だったが、彼の話で、わたしは随分と恵まれた環境だったのだと理解する。 「そんな状況を救ってくれたのが、彼、大垣条志だった。ジョージが間に入って、時には拳も使ったけれど、みんなを説得して回り、希望を持って生きていくことができるようになった」  彼は小さくなった焚き火からランタンに火を取ると、歪んだバケツに汲んでおいた水をかけた。 「そのジョージがね、他にも同じような思いをしている奴らがいるはずだから、その支えになるようなことをしたいって言い出した。ちょうど俺が他のコミュニティとの連絡手段を模索している時に午前と午後の三時にだけ電波が通ることを発見して、言ってみたんだよ。ラジオを、流さないかって」  わたしの瞳には、自然と涙が浮かんでいた。
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