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ある狙撃手の記録
東京都中央区。曇天の下、衣服が鬱陶しく感じられる湿気た空気が銀座を覆っていた。交差点は数分ぶりに静寂を取り戻している。溜息を一つ吐いて、不破二等陸曹は空いた左手を防弾チョッキの小物入れに伸ばした。保護ケースに包まれた煙草を取り出し、ケースを開けて中から一本、抜き取った。
「やっと片付きましたね」
自分の一服を待ち構えていたように、この場所の安全確保を担っていた観測手の伊澤三等陸曹が声を掛けてきた。内心で舌打ちしながらもう一本、煙草を抜き取った。
「ああ、そうだな」
煙草を掲げて見せると、伊澤はそれは嬉しそうに顔を綻ばせ、八九式小銃を
手摺に立てかけてこちらへ寄ってきた。まるで餌を見せつけられた犬か猫のようで、それがこの調子のいい三曹の憎めない所であった。オイルライターを取り出し、先に伊澤の煙草に火をつけてやり、それから自分の煙草に火を点けた。息子に『おいしいの?』などとよく聞かれたものだが、決して美味くはない。ただ、やめられないだけだ。これで風向きを計測・・・などという役に立った事も無い。寧ろ、戦場では敵に自分の位置を知らせるようなものだ。
もっとも、もうこの世界で人同士の大規模な戦争など起きないかもしれない。”ある意味でこの地球は平和になった”。
自分の吐いた煙越しに地上の様子が見える。酷い有様だ。
かつて人々が、車が旺盛に行き交った交差点は、物言わぬ死体が至る所に重なり合っていた。時折、手足を欠損した”屍”が一、二体、這いずってこちらを見上げるだけだ。
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