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のらりくらりとする娘に靖子は痺れを切らした。
娘のジャマを脱がせ、洗濯物の山からTシャツを引っ張り出す。
寝癖のついた頭に被せた。
野積みの洗濯物。
それを見る夫の嫌な顔が目に浮かぶ。
今日こそ畳まなければ。
「ママ痛い!」
襟ぐりが耳に引っかかった。
「ごめんごめん」
時間がない。
「早くしなさい」はいけないと、どこかの教育評論家が言った。
康子はその言葉が妙に気にかかった。待つこということは時間がかかる。手を貸した方がずっと楽なのにね。
ふと自分の幼い頃を考える。
自分はどうだったろうかと。
この子よりは聞き分けがよかったはず。
きっと香奈は夫に似たのだ。
夫、壮介は大手ゼネコンの下請け会社に勤務している。付き合ってすぐのデキ婚。まったくもって人生狂いっぱなし。
子育てに奮闘すること七年。康子の長い長い子育ては、まだ折り返し地点にも立っていなかった。
「ママたい焼き、焼きたい」
「香奈ちゃん今は学校に行く時間! たい焼きは、また今度」
また今度──
そう言っておきながらまた今度はない。だってたい焼きの金型がないのだから。その場しのぎのまた今度。
「香奈は二年生になったの。お姉さんなんだから、ちゃんとしなきゃ」
130㎝の体に赤いランドセルを背負わせる。
週明けの月曜日はとくに荷物が多い。
体操袋、上靴、サブバック、それに今日はピアニカ──。
水筒は満タン。熱中症の予防に多めに持たせるよう通達があった。
七時四十分
康子は香奈を追い立てるように玄関へと向かう。
「時間に遅れると迷惑がかかるの。だから早くしなさい!」
康子はとうとう禁断の言葉を発してしまった。
玄関のドアを開けた瞬間、どんよりとした灰色の空が広がっていた。
傘だ。
傘がいる。
荷物が多い日に限って傘。
「香奈ちゃん、雨が降るかもしれないよ」
「ママ、リンゴの傘がいい」
赤いランドセルに合わせた赤いリンゴ柄の傘。ファストファッションの子供用傘だ。けして高価ではない。
だが、香奈はこの傘が大のお気に入りだった。
娘は嬉しそうに傘に手を伸ばす。
傘様様──
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