ピンク色の傘

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ピンク色の傘

 昼から雨だと散々聞いていたのに、傘を忘れてしまった。「ちゃんと折り畳み傘、持ったんでしょうね!」という母の言葉を思い出す。あの時は遅刻寸前で急いでいたのだ。だから「うん! 持った!」と返事をしつつも傘のことなんて頭の本当の片隅に引っ込んでしまっていた。ああ……あと十分早く起きていればなぁ。反省だ。  仕方なく、雨が止むのを教室の中で待っているが、雨はどんどん激しくなるばかりで止む気配は無い。ああもう! 俺はなんて馬鹿なんだ!  教室にひとりぼっち。  雷雨になるって言っていたから、雷が鳴る前に帰りたいのに……。  頭を抱えていると、不意に教室のドアが開いた。俺は振り返る。そこには――委員長が居た。眼鏡に髪を右と左でふたつに分けて結んでいるスタイル。どこからどう見ても優等生。 「あれ? 斉藤くん、まだ残ってたんだ?」 「ああ……ちょっとね」  委員長は眼鏡の奥の丸い瞳を瞬かせて俺を見た。 「もしかして、傘、無いとか?」 「ええっ!? 何故それを!?」 「うふふ。なんとなく」  委員長はくすりと笑うと、自分の鞄を開けて中からピンク色の折り畳み傘を取り出した。それを俺に差し出す。 「貸してあげようか?」 「えっ? でも、それじゃ、そっちが濡れちゃうんじゃ……」  ありがたいが、委員長に迷惑をかけるわけにはいかない。けれども、委員長はちっとも困った様子を見せずに言った。 「良いの。友達に入れてもらって帰るから」 「でも……」 「良いから! 使って!」  委員長は俺に強引に傘を握らせると、スカートを翻して教室のドアに向かった。  俺は慌てて礼を言う。 「あの! ありがとう!」 「ふふ。こちらこそ」  委員長は駆け足で教室を去って行った。取り残された俺は不思議な気分になる。  ――こちらこそ、ってどういう意味だろう……。  ……とりあえず、帰ろう。  俺はピンク色の傘を手に教室を出た。差すのはちょっと恥ずかしいが、そんなことを言っていられない。  委員長って、がり勉の頭の固い人だと思ってたけど、良い人なんだな。性格も最高じゃん……もしかして、俺に気があるから傘を貸してくれたりして? いや、まさかそんな……。そんなことを考えながら昇降口まで来た。すると、話声が聞こえてきた。俺は何故だか隠れてしまう。あれは……委員長だ。それから、隣のクラスのイケメン委員長! ふたりで何してるんだろう。 「生徒会の集まりで遅くなっちゃったね」 「うん。雨も強くなっちゃって……どうしよう」 「もしかして、傘、忘れちゃった?」 「……うん」  えっ?  俺は手の中の折り畳み傘を見つめた。忘れてなんかないだろう、委員長。だって、これを俺に貸してくれて……。  するとイケメンは自分のビニール傘を広げて、委員長に入るように促した。 「じゃあ、一緒に帰ろう。送っていくよ」 「でも、それじゃあ遠回りになっちゃう……」 「気にしないで。女の子をびしょ濡れになんて出来ないよ。さあ、行こう?」 「うん……ありがとう!」  委員長は頬を赤らめて、ビニール傘の中におさまった。  そのまま校門を出て行くふたりを、俺はぽかんと見送る。  委員長……まさか、傘をわざと俺に貸してくれて、イケメンと帰る口実を作ったというのか……。  ひいい! 女って怖い!  俺は握っているピンク色の傘を見つめながら、そう思った。  ああいうの、小悪魔って言うんだっけ?  とにかく怖い。俺は震えながら靴を履きかえて、外に出た。そして、ピンク色の傘を広げる。  もうすっかり、ふたりの姿は見えなくなっていた。  俺はとぼとぼと歩き出す。なんだか、失恋しちゃった気分。  どんな顔してこの傘を返せば良いんだろう……複雑だ。  しとしと、しとしと。  降り続く雨。  目立つピンクを頭上に俺は、目覚まし時計を十分早めることを心に誓った。こんな虚しい思い、二度と味わいたくないから。帰ったら真っ先に折り畳み傘を鞄に詰め込もう。そう思った。
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