赤いテントと蛇女

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 私は何年も前に還暦を迎えた初老の男でございます。  通り過ぎてきた長い年月を今更ながら振り返りますと、人生の何とやるせない事かとしみじみ思わざる得ないのであります。へたな例えを申せば、一発たりとも会心の一撃を打つ事なく終了したボクシングの試合のように、何とも不完全燃焼のようなやるせなさでございます。  そんなもう老い先少ない貧相な男の話を、誰かに聞いて頂ければ少しは気も晴れるように思えて、少し昔話をさせて頂きます。  舞台は福岡と熊本の県境の町でございます。有明海のすぐそばで海苔の香りがふっとする干潟漁業の町でありました。私は母親に連れられてよく市場に通ったものです。足元はじゃりじゃりとした貝殻の通路でした。  じゃりじゃりじゃりじゃりと運道靴の底に感じた貝殻の感触を今でもはっきりと覚えています。  市場の威勢の良い掛け声などはあまり記憶に無く、売り子と魚介の下処理を兼ねた女達が地べたに座って、ただ黙々とタイラギの身を剥いていたという印象でございます。  ご存知かもしれませんが、タイラギは結構大きな二枚貝で、その身は地元ではただ”貝柱”という名前で売られている物でございます。その茶褐色の薄い貝殻は、砕くなりして地面に直に捨てられたのだと思います。地面は本当にじゃりじゃりとしていましたから。  今思えば、毎日淡々と繰り返される小さな市場の風景は、どこかしら異国を思わせるシュールな風情であったなと思います。  
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