リコピン

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リコピン

「行くぞ」 軽音部の部室に、ドラム担当の(そう)がやってきて、低く太い声で告げた。 「曹、遅い」 「そう言うんだったら先に練習してろ」 お菓子を食べながら部室でだべっていた、ボーカル兼ギターの智は「それもそうだな」と笑って腰を上げた。つられるようにベースの莉子も立ち上がる。 体が大きくてゴツい曹。三年目にもなるとドラムの持ち運びもコツが分かって上手になる。細身の智もギターを肩に掛け、自分と莉子のアンプを持った。三人はまだ残暑厳しい9月の廊下を並んで歩き、練習用の「教室(ナワバリ)」へ向かう。 汗ばんだ額を拭う。息苦しい湿気の中、空気を求めて莉子は浅く呼吸しながら、前を歩く二人の背を見つめていた。 ※※※※※ 「大島さんって、莉子って名前なんだ」 一年生の時に、たまたま隣の席だった智。ノートに書かれた莉子の名前を見て、彼から話しかけてきた。 「そうだけど」 莉子は口をへの字に曲げながら、ニコニコと見上げてくる智を睨んだ。 相手が嫌いなわけではない。 『莉子』という自分の名前が嫌いなのでもない。 更に言うと、怒っていない。 「ねえ、大島さんのこと、『リコピン』って呼んでいい?」 「はぁ?」 不愉快そうに顔を歪める莉子に、智は大きな口を左右に引いてニカーッと笑った。 嬉しくても素直に自分が出せない。 これが莉子の、ずっと友達ができない原因だった。 ーー大島が笑った顔、キモい! 小学校の時、好きだった男子が大声でそう言って笑った。周りの友達もみんなクスクスと自分を嘲笑っていた。 それ以来、莉子は笑えなくなってしまった。 それでも友達がいなくて平気な訳はなく、高校入学をきっかけに変わろうと決めていた。昨日読んだ『友達を作る方法』にも親しくなりたい人をあだ名で呼ぶといい、と書いてあったような気がする。 ーー変わらなきゃ。 それでもやはり口元が緩みそうになるのを封印した結果、目を見開き、鬼のような顔になって言った。 「いいわよ!」
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