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誘拐事件
事態はどうやら、もう警察が介入している状況らしい。
タクシーの中で、特別な考えは浮かばなかったが、まあ何か依頼人の役に立つことが出来ればいいなくらいのことを思った、探偵として。
昨年、こっちは頼まれた仕事を引き受けただけとは言え、先般の浮気調査で、あれだけの報酬を貰ってしまったのには、ちょっと気が引けた。
だって浮気らしい浮気など何も見つけられなかったのだから。
それはまあ、調査対象の夫がそれだけ真面目な人物だったという証明にはなったんだが、結果的に、何かこちらが、何も仕事をやらなかったような気分にもなった。
それで、夫婦が今まで以上に円満な関係になったというおまけがついてくれないと、どうにも気が引ける。
それはそうなったことを祈るしかない。
依頼人が住む藤川邸に着くと、愛想の悪い秘書が出迎えてくれ、やたら気分が悪かった。
豪華な依頼人の家の中に入ると、警官が数名と、刑事らしき人物が居て、ピリピリしたムードの中、やけに真面目くさい顔をしていた。
1人の警官がチラリとこちらを見た後、上司らしい刑事の方を見たが、依頼人が俺の方に寄ってくると、上司の刑事も一緒に引っついてやって来た。
美しく整った顔立ちに、北欧風の筋の通った高い鼻と、大きく鋭角的な瞳がひときわ目立つ依頼人の藤川夫人は、ちょっとだけ戸惑った顔つきで、こちらに寄ってきた。
後ろのむさ苦しいサイみたいに鈍重そうなおっさんの刑事に、夫人は俺のことを紹介した。
「私の信頼している興信所の所長さんの杉本さんです。こちら、今回の件でお世話になっている刑事さん」
「どうも」
むさ苦しいサイみたいに鈍重そうな顔をした刑事は、軽く解釈したが、この程度の挨拶すら、お前には勿体ないと言わんばかりの顔つきで、こっちを見ていた。
そもそもこのサイ親父が一番言いたい台詞など一発でわかる。
要するに、
「お前なんぞが、何しにノコノコ来やがったんだ、この薄汚い三流探偵が」
ってとこだろう。
だからこの大威張りの刑事に、わざわざ俺なんぞが首を突っ込む、事の次第を、トックリと聞かせてやることにした。
「奥様から連絡がありまして。まだお宅のところへ捜査依頼をする前です。こっちが先口という訳でして。ただ私も警察の捜査を邪魔したりとか、ご迷惑をおかけしたりするつもりはありませんので」
「お前にそう言われて、ご迷惑をかけられなかったことなんかないじゃないか、杉さん」
サイみたいな顔を動物っぽく歪めた呆れ顔で、刑事さんは言いやがった。
「捜査協力には副作用ってものも含まれるでしょう。せっかく持病の痔が治ったって、そこまでには多少の痛みを伴うわけで。普段よくご経験のはずですが」
「そんな話をこんなとこでするなよ!」
サイみたいな顔をさらにイカつくさせて、刑事さんは小声で俺に訴えてきた。
美人の奥さんが横にいたからか、かなりの赤ら顔になっていたので、笑いそうになったけど、ここは紳士的に我慢した。
俺は夫人の深い胸の谷間の方を指差して、
「いずれにしても、私は依頼人である奥様のメンタル面のケアから、事件にまつわる雑事などに、実に遠慮深く関わるだけですから。吉川のデカ長さんのお邪魔は致しませんよ」
美人の奥さんは、俺と吉川のデカ長が顔見知りであることに気がついたみたいだ。
「あら、刑事さんとお知り合いなの?」
「ええ、デカ長さんは中々気の置けない方なんです」
俺は調子よく言ってやった。
吉川刑事はサイみたいな顔を、またさらにサイっぽくして、こちらを睨みつけてきた。
「なあ杉さん、私は公務でここに来てるんだ。その辺の根本的な立場の違いをイチイチ強調するのはおこがましいことだという事は心得てるつもりだ。しかし君を見ていると、そんな基本的なこともイチイチ言っとかなくちゃならなくなる。君が気の置けない親友だなどと思った事は、どう思い出しても、これまでの私の記憶にはないな」
「そうですか。前に一杯奢ったはずでしたが」
「3年も前の話だ。しかも君と飲んでたわけじゃないよ」
「ああ、そうそう、あの時デカ長さんは確か随分若いご婦人同伴で、中々ご機嫌だったのをよく覚えていますよ。あのご婦人は確か…」
デカ長は急に焦った顔をして、俺に腕を回してきた。
「その辺の話はこの辺でもう終わりにしとこうな。じゃなきゃ、こっちも言いたくないことをあれこれ、あんたを気に入っている奥さんの前で演説しなきゃならなくなる」
「司法取引というわけですか」
「そんなもの日本にはない。だいたい職権乱用する気はない。ただ俺が個人的に知ってる楽しいお話を、あれこれするまでだよ。趣味の領域だ」
サイみたいな顔して、奴は俺にウィンクしやがった。
「なるほど。私も職務を全うするためにこちらにお邪魔してるだけです。無駄口を叩いてる余裕はありませんから、誤解なきように」
俺は涼しい顔してそう言ってやったが、デカ長さんは、ニコリともせずに俺を睨みつけやがった。
依頼人の奥さんには、大げさでも何でもなくメンタルケアが必要だったし、誰か支えになってやる存在が必要だった。
何故なら、4歳の愛する我が子を誘拐されてしまったからだ。
俺に電話してきた時は、半狂乱になってわめいていたが、その後、サイみたいな顔をしてはいるが、心根が優しいところもあるデカ長に慰められたりもしたんだろう。
今は、前に比べれば、だいぶ落ち着いている。
もっとも、表面に出ていないだけで、心中の我が子への心配と不安は相当なものだろうとは思うのだが。
わりとイケメン風だが、無愛想な態度しか子供の頃から教えられてこなかったような秘書が、例によって愛想の悪い顔して俺のところに飲み物を運んできたが、そいつは前に訪問した時に夫人に作ってもらったマティーニではなく、冷えたレモンティーだった。
俺の好みなどどうせわかっちゃいないんだろうが、警察の連中に気を使っている節も感じられた。
「それで事件の方はどんな感じなんですか?」
俺はデカ長に聞いてみた。
当然、お前には関係ないという顔をして、
「捜査上の情報を部外者に漏らす事は禁じられているんだよ」
とにこやかに答えてきた。
「まぁ何かお役に立てることがあれば、こちらとしても、ここまで来た甲斐があるというところなんですがね。まぁいいです。お役人さんには色々お堅い決まり事がおありで、年中そんなもんにがんじがらめに縛られて喜ぶ趣味もおありみたいだから、依頼人に詳細を伺うことにします」
俺はそのまま、ブスっとした顔つきのデカ長はほっといて、夫人に色々と聞くことにした。
「簡単でいいんで、どういう状況なのか教えてもらえませんか?わかんなきゃここに来た意味もないので」
夫人は近くに寄ってきて、カウチの端に腰かけた。
豊満な胸元が寄せられて迫り上がった。
「前に電話でお話ししたように、3日前に息子を誘拐したと電話がありました。息子は消息不明となっていて、犯人からの電話で息子の声を聞かされました。それから刑事さん達が来てくださったんですが、その後、犯人からの連絡は無しです」
「警察に知らせることを禁止しなかったんですか?」
「何も言ってませんでした。息子を返して欲しくば5千万円用意しろと、それだけです。今、主人が金策に走り回っているところです」
「宛てはあるんですか?まあ、それぐらいのお金をすぐに用意できるお宅という気もしますが」
「私には何とも言えません。主人はすぐ帰ると言ってましたから、何か宛てがあるのか、私が知らない預貯金なりを持っているのかもしれません」
藤川家が金に不自由していないのは、この邸を見ても明らかだ。
たぶん、資産等も相当なものだろう。
犯人は明らかにそこに目をつけている。
「あまりお気を落とさずに。息子さんは必ず帰ってきますよ。何か私でお役に立てることがあったらいつでもご協力いたします」
俺は美しい藤川奈緒子夫人の瞳を見てそう言った。
夫人は俺に抱きつかんばりに近ずき、こちらの目を見て、今にも泣き出しそうな顔していたが、すぐに気丈にうなずいた。
と同時に、夫人の大きな乳房がプルンと揺れて、俺の胸元に、柔らかい甘美な感触を与えた。
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