49人が本棚に入れています
本棚に追加
事件展開1
草木も眠る丑三つ時…
なんていうのはこういう感じなんだろうか。
真夏の怪談話ではよく使われる表現だが、これまでの人生で、そんな状況や時間と接する機会はなかった。
でもこの不気味な静けさ… こういうもののことを言うのかもしれない…と不意に思った。
ここはどこかの廃屋だろうか?
私は今何をしているのだろうか?
自分で自分が、わからなかった。
辺りは不気味なまでに草木が繁り、その青々とした生い茂りが、返って、暗黒の気配の不穏さをかき立てている。
そんな妙に、非人間的な草木の中に、私はいる。
身のあちこちからは、血液が薄汚く飛び散り、あらゆる肉体の部位に損傷があると思えてくるほど、身体全体が破壊されてしまっているように感じる。
一体なんでこんなことに?
いや、確かに私は罪深い。
それは認めざるを得ないのだ。
しかし私の罪深さと、この今の破壊された身体を抱えた自分…というものが重なってこないのだ。
どうしてこんな事になり、何でこんなところにいるのか?
しかし考えてみれば、人生なんてそんなことの連続だったじゃないか…とも思える。
私が罪深いことになっていったのも、そんな理不尽な、よくわからないことの連続が、自分の人生を包括していたからじゃないか…とすら思える。
でも…
私は人生の最後を、こんな醜い形で終わりにしなくちゃいけないほど、悪いことをしてきただろうか。
そもそも、犯罪者として捕まったことすらないし、魔が差したと言えるのは、たったの1度きりだ。
貧乏な家庭で育った者など私だけではないし、私より貧しい生い立ちの人々だっていくらでもいるのだから、私だけが悲惨な生い立ちだなどとうぬぼれた事は言いたくないが、しかし私も貧乏な家庭で育った1人だった。
母は働き詰めに働いたのに1度も豊かになる事はなく、若くして死んでしまったし、父はろくに仕事もしないで、浮気に酒に博打を繰り返した挙句、私や母を、酔っ払っては毎日殴る蹴るしたが、今だに生きている。
確か、新宿か渋谷の公園で、ホームレスをしているはずだ。
一度、父は若者のホームレス狩りに巻き込まれて、半殺しにされたことがあったが、発見が早く、救急病院に担ぎ込まれて、一命を取り止めたことがあった。
私が見舞いに行っても、もう10数年会ってなかったから、向こうは私が誰だかわからなかったが、包帯だらけの痛々しい姿を見て、何故か幸福な気持ちになった。
ホームレス狩りをやった少年たちが、天使に思えた。
世の中には因果応報、「報い」というものがあるんだなと、あの時正直思った。
正直言って、あの日は、私の人生の中で最も幸福というものを感じた日だった。
そんなことに人生最大の幸福を感じてしまうような人間だから、私は今こんな状態で、最後を迎えることになるのだと、人に言われたら、何も言い返す言葉は無い。
でもあの日は、本当に、世界から急に全ての靄が晴れてしまったかのような明るさを感じた。
病院からの帰り、都電荒川線の電車に乗って、私は確実なる「報い」という幸福を、あの時、心の底から噛み締めていたのは事実だ。
飛鳥山公園近くの、評判のレモンパイの美味しいお店にわざわざ足を運んだのも、この祝うべき幸福の日を、もっと幸せにしたかったからだ。
あの日の、あのレモンパイの美味しかったこと…
あれは、一生忘れられない、私の人生の最高の輝きだ。
私は、実父が死にかかって、傷だらけになったのを知った日が、人生最高の日だと思うような人間だから、こんなことになるのだ、と納得しようとした。
これも報いだと…。
生暖かい風が、不意に私の身体を嬲ったが、視界はひたすら、漆黒の、塗りつぶされたような暗黒だけに覆われていた…。
最初のコメントを投稿しよう!