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藤川家の主人が誘拐されてしまった。 身代金を持参金のように所持していたのだから、金の要求を犯人側がしてくることも当然ないわけだ。 一体全体何が狙いだ? やっぱり金か? 俺は、昨日、確かに藤川邸から王子駅へタクシーで向かう途中、旦那のベンツとすれ違った。 確か、後部シートに大きなジュラルミンのケースが見え隠れしていたのを目撃した。 犯人はつまり、この藤川邸と、俺がベンツとすれ違った場所の間の位置で待ち構え、旦那と金を誘拐したということになる。 そして俺の誘拐計画も、ひょっとしてバレていたのかもしれない…とも思った。 仮に、俺が実行犯であるところまではバレてなかったとしても、この藤川家が息子の誘拐事件に巻き込まれていて、まとまった大金を集めていることを知っていた奴の犯行ということになるのではないか。 いずれにせよ、今のこの状況で、子供の身代金を要求しても、それは難儀するだけにも思える。 しかし、ここでこちらの誘拐計画を停滞させてしまうのも、不自然に思われる節がある。 こっちも、なんとしても絶対に身代金は必要なのだ。 舞子の為にも…。 ここまで来て、この計画を終わらせてしまうという事は、舞子を見捨てるということと同じことを意味するのだ。 藤川家は、まだ引っ張れる金を持っているはずだ。 それに賭けるしかない。 俺は一度は計画を中止して、子供を返し、すべての犯行は、旦那を誘拐して持参金のような身代金を奪いやがった奴の仕業に見せかけようと思った。 そしたら俺は、この事件とは全く無関係になる。 誘拐した子供にだって、顔を見られていないし、第一、あの子は自分が誘拐されているという認識など持っていないはずだ。 実際、あの子には状況を悟られないように、手厚い保護をして監禁している。 もちろん、あの子には自分が監禁されているという認識すらないはずだ。 だからいつでも、計画は無効にできるのだ。 しかし…。 それは舞子に死ねと言うのも同じことなのである…。 それは俺には出来なかった。 どうしても舞子の命のためには、大きな金がいるのだ。 一人娘は今のところ、無事なようだ。 昨日電話があり、もう少し身代金を待ってくれるよう相手には伝えた。 相手も渋々納得し、その後、元気そうな舞子の声を聞かせてくれた。 悲鳴ではあったが…。 俺はひょっとして娘を誘拐しやがった犯人は、俺が身代金を作るために、藤川家から子供を誘拐したことを知っていて、先手を打って、父親である藤川氏を持参金付きで誘拐したのかもしれない、とも考えてみた。 そうやって、俺が手に入れた身代金とは別に、資産家の藤川家からも別口で金を引っ張るやり口だ。 しかし、そうは思えないところもあった。 実は犯人は、俺をしがない探偵だとは思っていないようだからだ。 確かに、うちは興信所ではあるが、会社組織にしてあり、一時期は他の調査員を雇っていた時期があった。 実際、実入りはそんなに大したものではなかったが、今の年収の3倍近くあった時期もあるにはある。 少なくとも、今よりは羽振りが良かった。 だから俺は、一応興信所所長であると同時に、名目上、会社社長なのだ。 今や落ちぶれて、調査員私一人の貧乏探偵 だが、犯人にはどうやら、私は今だに羽振りの良い会社の社長と思われているようだ。 身代金の都合がつかない話をしても、鼻で笑われたし、奴らは社長の娘を誘拐したつもりでいるようだ。 だからこちらが、資産家の子供を誘拐しなきゃ、自分の娘の身代金も払えないほど落ちぶれていることを丸っきり知りもしないだろう。 そもそも、今の3倍は年収があった時代から今に至るまでに、我が家庭もほとんど崩壊していた。 妻はジリ貧になった俺を見捨てて、俺の調査で女房の浮気を知って落胆したIT関連の社長に目をつけて、IT社長が浮気妻と離婚するなり、その後釜に収まりやがった。 娘の舞子は、不規則な仕事の形態と、多忙から、家にロクに帰らなかった俺など、まともな親とは思っておらず、高校を卒業すると、どこかへ消えてしまい、誘拐されて声を聞くまで、まるで音沙汰なしだった。 とっくにジリ貧の貧乏探偵に落ちぶれている奴を、社長という名目だけ見て金があると踏み、とっくに家庭崩壊し父親を見放している娘を誘拐した…。 奴らがやった事はそういうことであり、だから俺がそのための身代金を作るために、よそ様の子供を誘拐してるなんて事は、思いもよらないのではないかと思うのだ。 それに俺は、仕事が忙しくて、舞子を小さい頃からかまってやれないことの埋め合わせに、舞子には欲しいものを何でも買ってやった。 随分高価なものを平気で買い与えていたこともあるし、誘拐されている舞子も、自分が家を出て自由に生き始めてから、父親の俺が仕事を減らしてジリ貧の貧乏探偵になっていることを知らないだろうと思うのだ。 故に舞子を誘拐した犯人が、俺の誘拐計画を知っていて、藤川家から俺の隙をついて、旦那の身代金=持参金ふんだくったとは考えにくいのだ。 誘拐計画をこのままやめにするわけにはいかない。 結局、俺はそう結論づけるしかなかった。 舞子にとっては、ロクでもないオヤジだったかもしれないが、俺にとっては舞子は一粒種の、この世で最も大切な宝物だった。 何としても、舞子を死なせるわけにはいかない…。 舞子は今や、俺の唯一の血縁者だった。 俺は藤川家にいても、埒があかないと思い、まともに捜査状況を教えないデカ長や、旦那まで誘拐されてオロオロするばかりの夫人をおいて、外へ出た。 携帯から、あるところに電話した。 話の中身を聞かれちゃ困るので、藤川邸からは、なるべく離れた場所から電話した。 相手は2回ほどのコール音の後、すぐに出た。 「あ、すいません。なかなか連絡できなくて…。ちょっと仕事が忙しくて手が離せなくて…お預けしておいた息子は元気にしてますか?おやつもいっぱい渡しといたし、ちょっと騒がしいところはあるかもしれませんが…」 「申し訳ございません!!」 相手の中年女は、いきなり切迫した声で、そう切り出してきた。 「どうかしましたか?子供のことですから、ちょっとしたかすり傷とかを遊んでいて作っちゃうなんてのは日常茶飯事ですから、別に気にすることは無いですよ」 俺はにこやかに話した。 「そうじゃないんです。誠に申し訳ないのですが、私がちょっと目を離して、他の保母さんにお子さんを見てもらっている間に、すいません、お子さんがどこかへ消えてしまったのです!」 「え?!消えた?…あの子供の事ですから、どこかその辺を出歩いてるんじゃないですか?」 「いえ、もうかれこれ2時間以上探してますが、お子さんはどこにも見当たらないのです!本当にどう詫びしたらいいか…本当に申し訳ありません!」 中年女の保母は、今にも泣き出しそうな声でそう叫び続けた。 「で、では、そのあなたが目を離している間、息子を見ていた保母さんはどうしたんですか?その人が何か知ってるんじゃないんですか?」 「その保母はパートタイムで働いているので、時間が来て帰りましたが、ところがお子さんがいなくなったとわかって、その保母に何度も連絡してるんですが、全く連絡がつかないんです。まるで一緒に消えてしまったみたいなんですが、その保母が1人でいつも通る道を帰っていくところを目撃した者もいて、お子さんは、その保母とは、別にどこかへ消えてしまったみたいなんです。本当に、本当に、申し訳ありません!」 電話を切って、俺はしばらくの間、呆然とした。 自分が、何をやっているのかもわからなくなるほどだった。 不意に思い出したように、タバコを取り出して火を点けた。 一服しながら心の中で「落ち着け、落ち着け」と繰り返した。 なんと、誘拐していた藤川家の息子が消えてしまったのだ。 俺は、とある、まだ出来たばかりでマイナーな児童預かり所に、藤川家の誘拐した子供を預けておいた。 子供に、知らない大人に監禁されてるとか余計な不安や恐怖心を与えたくなかったためだ。 "ママがここへ迎えに来るから、ママの用事が済むまでここで遊んでいようね"と、さっきの中年の保母に、子供に言うよう頼んでおいた。 だが、その子供が消えてしまった。 おまけに、一緒に遊んでいたはずの保母と連絡がつかないと言う。 一体、何がどうなっているのだ…! 俺は2、3本タバコをふかしたが、頭の中の混乱は収まらなかった。 誘拐した子供のための身代金は、それを集めてきた父親ごと誘拐され、持参金のように持っていかれた。 挙句、誘拐したはずの子供も行方不明になってしまった。 俺は保母に会った時も変装していたので、何ならこのまま、放っておいてもいいが、しかし誘拐されている我が娘・舞子のための金を、なんとしても作らなくちゃならない。 俺は、なんだか訳のわからない事態に追い詰められた…と言うしかなかった。 本当に、一体、誘拐犯の俺の周辺で、一体全体、本当に何が起こっているんだ!! そう叫びたかった。 だがその数分後、俺の携帯に、電話があった時にはビクっとした。 あまりにいきなり呼び出し音が鳴ったので、俺はすぐに電話に出た。 「あんたが誘拐した子供を預かった」 相手は抑揚のない落ち着いた声で、そう言った。 「誰だ?」 「言うわけないだろ、誘拐犯さん。子供を返して欲しければ、それなりに支払っていただく」 俺が誘拐した藤川家の息子は、なんと、よその誰かに誘拐されてしまっていた…。 「電話してくる相手が違うんじゃないのかね。電話して金を要求するなら、子供の親に言うことだな」 俺は悪びれずにそう言ってやった。 「いや、あんたに金の受け渡しはやってもらう。杉本さんよ」 どうやらこっちの素性がバレてるらしい…。 「誘拐ってのは、子供を握っている奴がその親からユスるものだ。今更、俺に何の関係がある?」 そうだ…。 俺は、誘拐事件に巻き込まれて娘が誘拐され、その身代金を作るために金持ちの息子を誘拐したが、身代金も子供も、他人に攫われちまった男だ…。 今更俺に、何をしろっていうんだ! 舞子のための大金はなんとかしたかったが、そいつを、この誘拐横取り野郎が払ってくれるわけがない。 「あんたの素性を知ってるって事は、誘拐事件の犯人はあんただと警察にチクれるってことですよ。あんたの立てた計画は全部わかっている。子供を隠した場所も、脅迫電話の件もね。だから証拠を持ってあんたを警察に売れば、あんたが本家本元の誘拐犯だってことがわかる。それにあんたが承諾しないなら、ガキは殺すよ。あんただって、そこまでするつもりで誘拐したわけじゃなかろう」 「要するに、お前のパシリになって、金を右から左へ流す、一番間抜けのやる仕事をしろってことだな。人の弱みにつけこみやがって…」 しかし、俺は渋々、相手の条件を受け入れた。 まだ手はある。 こっちで勝手に、身代金を倍の一億要求して、差額を舞子の身代金にすればいい。 「物わかりが良くて助かるよ。念を押すが、あんたの誘拐犯としての証拠は確実に握っているからな。それを忘れないでくださいよ、杉本さん。謂わば、あんたの首根っこは、こっちが握ってるってことですよ、探偵さん」 「わかったよ。手は俺が誘拐犯らしく汚してやるから、あんたは楽して儲ける事だけ考えていればいいんじゃないのか。それが当節の流行りってもんじゃねえのか」 電話は一方的に切れた。 藤川家に、さらなる大きな資産があるなんて話は、しかし望み薄だった。 さすがに一億は難しい。 俺が調べた藤川家の資産状況では、奪われた旦那の持参金=身代金の5千万にプラスして、俺の取り分を含む5000万× 2 = 1億円が、さらに藤川家に眠っているなんて事は無い。 しかし舞子の命の為には、ああ言うしかなかったし、俺が実行犯になって、ちゃんと藤川家に子供を返してやりたいという気持ちもあった。 俺は、勝手な言い草かも知れんが、誘拐した子供を本当に一時的に安全に預かっただけで、金が手に入ったら、そのまま無事に子供は返すつもりだった。 俺の顔は、かなり変装していたので、保母にも子供にもバレていないはずだ。 だから、隠滅しなきゃいけない証拠は別にないのだ。 しかし、電話してきたあの野郎は、俺の証拠を握り、首根っこを押さえていると言いやがった。 こいつの正体を割り出して、子供を奪い返すという手もあるが、どこのどいつだか、今は全く見当もつかない。 ここは奴との取引を利用するしか、手を思いつかなかった。 奴が乗ってくれば、子供も返せるし、舞子の命のための身代金が手に入る可能性も残る。 非通知で奴はかけてきたため、こっちから連絡が取れないのがもどかしいが、とりあえず奴からの次の連絡を待つしかなかった。
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