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子供探し
俺は、誘拐した藤川家の子供を預けた預かり所へ寄ってみることにした。
何とか子供の足取りを追うしかない。
そこから、誘拐横取り野郎のところまで辿り着ける可能性だって、無きにしもあらずだ。
オールバック風のカツラにヒゲ、そしてセルフレームのメガネをかけて変装し、服装はいつも着ているスーツ姿のまま、俺は保母に会った。
保母は、いかにも福祉系の仕事にはよくいそうな、他人の世話を博愛的にやりたがるタイプの中年女で、人間的には好人物な女性に見えた。
俺に会うなり、何度も平謝りに謝ったが、俺は彼女を責めたりはせず、あんたに責任はないと言った。
そして、この保母が目を離している間、子供の世話をしていたという若い保母についての話を聞いた。
若いと言っても、もう30代半ばで、俺と大して歳は変わらない。
随分地味な女だそうだが、こちらも、おとなしい真面目を絵に描いたような女だそうだ。
俺は、探偵という本来の職業の勘を働かせて、この30女の保母の住所を聞き出し、会ってみようと思った。
預かり所の前で、保母は俺に何度も頭を下げて見送ってくれたが、俺は、"警察に連絡して捜索するほどの大事じゃないので、警察に知らせる必要などない"ことを念押ししてから、保母と別れた。
女が住んでいるアパートは、荒川遊園地近くにあるらしい。
俺は都電荒川線に乗って、荒川遊園地前駅まで行ってから、保母から聞いた女の住所の方へ歩いて向かった。
なんでも、駅から徒歩10分位のところに女のアパートはあるらしい。
アパートの住所の方へ歩いていくと、途中朽ち果てたような廃屋が見えたが、そこに元々あった工場の住所が書かれていて、それが女の住所の近くだと分かったので、この辺りをぐるぐる歩き回った。
廃屋が1丁目で、女の住所は2丁目…
そこで、2丁目の方へと歩いて行くと、よくあるニ階建ての小さなアパートが見えてきた。
その建物の一階の奥が、保母の部屋らしい。
表札には、栗本加代という保母の名前と、もう1人、その前に昌江という名前が書かれていた。
栗本加代が保母の名前で、先に書かれた昌江の方は母親の名前ではないか。
多分母親と二人暮らしなのだろう。
俺は、さっそく備え付けの粗末なブザーを押してみたが、留守なのか、何回押しても返事がなかったので、ドアをノックしてみた。
しかし反応はなかった。
母親と一緒にどこかに行っているのだろうか?
俺は改めて、何回かけても応答がないと言う保母・栗本加代の携帯番号を聞いておいたので、自分でもかけてみたが、やはり電源がオフになっていて応答はなかった。
ひょっとして、この保母は子供と一緒に例の誘拐横取り野郎に捕まっているんじゃないのか?
そんな気がしてきた。
しかし、母親の返答もないというのはどうしたものか?
別口で出かけているか、昼寝でもしているのだろうか?
まあしかし、そっちはあまり重要じゃない気がした。
栗本加代の方が問題だ。
女も子供と一緒に捕まっているのだとしたら、このように行方不明っぽくなってもおかしくはない。
そう思いながら、アパートから離れ、今来た道を引き返した。
預かり所にいる保母に、携帯から電話して、栗本加代の交友関係を知らないか、歩きながら聞いてみたが、友達はいないんじゃないかと言っていた。
なんでも保母同士でも、仕事上の付き合いだけで、プライベートの付き合いは誰ともなかったらしい。
男との浮いた話などもなく、暗くて地味な女で、基本的にプライベートの事はよくわからない…と言っていた。
かなり高齢の母親の事はよく話すらしいが、交友関係の話は聞いたこともない、との事だった。
母親ね…
俺は荒川遊園地前駅近くまで歩いてきたが、ふと、ひょっとしたら、家の中で昼寝でもしてるかもしれない母親と話ができないか…と思った。
友達も男もいない女で、母親とは仲が良い…というなら、母親が、娘のどこか行きつけの場所だとか、あれこれ知っているかもしれない。
そこで、栗本加代の自宅にまず電話を入れたが、誰も出なかった。
やはり外出してるのかもしれんが、ここまで都電でやって来たついでなので、俺はもう一度、今戻ってきた道を逆に歩き出し、栗本家のアパートの部屋の前までまた戻った。
何度かブザーを鳴らす。
ノックしながら呼んでみる。
反応がない。
仕方ない。
俺は内ポケットから警察手帳を取り出した。
勿論、モノホンの警察手帳ではない。
厄介な探索の時に、面倒を取り払うために違法で作って持っている、本物そっくりの警察手帳だった。
探偵なんてものを、きな臭い目で見る連中には割と効果のある、謂わば探偵にとっての胡散臭い秘密の7つ道具の1つみたいなものだ。
俺は、アパートに貼られていた入居者募集の看板にある、このアパートの管理だか入居の世話だかをしているらしい不動産屋の電話番号に電話して、このアパートの大家が誰かを聞き、管理人をやっている者の連絡先を聞き出した。
警察の捜査だと告げると、不動産屋はこちらの聞いたことに素直に従ってくれ、俺はその後、管理人宅に電話した。
管理人はどうやらこのアパートのニ階に住んでいたようで、アパートの前にいることを告げると、すぐに初老の人の良さそうな男が出てきた。
俺は偽の警察手帳を見せて、栗本加代のことで母親と話がしたいが、ブザーを押しても、呼んでも返事がないことを告げた。
「いやー、あのお母さんは体が悪くて、それにもう70を越してるから家にいると思いますけどね。大体、外出したとこなんて見たことないですし」
「ちょっとお母さんとお話ししたいんで開けてもらえますか。中で昼寝でもしていらっしゃるのかもしれないけど」
「わかりました」
管理人は、俺の手の中の警察手帳の偽物をチラリと見た後、栗本家の鍵を合鍵で開けてくれた。
俺はドアを開けて、玄関口に立った。
なんとも殺風景なキッチンと、その奥にある地味な部屋が見えた。
さらにその奥には襖があり、どうやら2DKのここには、奥に母親の部屋があるらしい。
キッチンと見渡せるリビングルームには、誰もいなかった。
俺は部屋の中に入り、奥の部屋へ行こうと襖を開けた。
「すいません。勝手にお邪魔しちゃって申し訳ありません。栗本加代さんのお母さんですよね?」
だが母親と言うより、かなり高齢に見える老婆は、部屋の隅で壁にもたれて、向こう側を向いて座っており、昼寝などしていなかった。
「あの、すいません、娘さんのことでちょっとお話を伺いたいのですが」
しかし母親に近寄って、俺はとんでもないことに気がついた。
この老婆は既に死んでいた。
しかもこれは、昨日今日死んだのではない。
俺は人生で初めて、"ミイラ"というものを間近で見てしまった。
俺は絶句して、しばらく声が出なかった。
「どうしました?」
俺の異変に気づいたのか、不意に管理人が後ろから声を掛けてきた。
俺は、なんとか声を絞り出した。
「あ、あんた、このお母さんに会った事は?」
「え?ええ、実は一度もないんですよ。何しろ病気でずっと寝たきりと聞いていたもんで」
「とっくにミイラになっちまってるよ」
「ひぇ?ミイラって…まさか?」
「そう、最近流行の、とっくに死んでミイラになっているのに、まだ生きていることにして、年金だかをもらい続ける、あれだよ」
管理人は恐る恐る、老婆の方に近づいて行ったが、ミイラ化したその姿を目撃するなり、吐き気をもよおして外へ飛び出して行ってしまった。
俺は何故か、ミイラになった老婆の顔を、まじまじと見つめた。
それは、所謂、世間を騒がしている、かなりの高齢の老人のミイラではなかった。
パッと見、そう見えるが、よく見ると、この母親は、まだ中年期か壮年期くらいに亡くなって、そこから長いこと、この状態で放置されてきたようだった。
外へ飛び出ていた管理人が、恐る恐る戻ってきて、玄関口に立って、こちらを見ながら言った。
「でもおかしいな。よくこのお母さんと娘さんが会話している声が聞こえてきたんですけどね。これまで何年も会話してる声を聞いたことあるんですよ。じゃあ一体、あの母親との会話の声は何だったんでしょう?」
俺は、昔見たアルフレッド・ヒッチコックの映画「サイコ」を思い出した。
アンソニー・パーキンスの息子は、母親がとうにミイラになっているのに、その両方の役を、一人で演じていたサイコ野郎だった。
しかし昔、あの映画を見た時は、これはホラー映画みたいなもので、現実ではない…という気持ちが強かったので、安心して映画の面白さのみに酔いしれたものだったが、今や、俺の目の前にミイラがいて、そしてこんなミイラの母親と、平気な顔して同居している、世間では普通の人と呼ばれる人々が存在するのが、今のこの時代の日本なのだ。
おまけに、栗本加代は、とっくにミイラになっている母親と、毎日会話して生活していたらしい。
俺はミイラの近くや、部屋の中を歩きまわった。
俺は別に、ミイラの母親を発見するために、ここにやって来たわけじゃないからだ。
俺が探しているのは、誘拐された子供(と言っても、その前に俺が誘拐した子供だが)の手掛かりだった。
しかし、子供の持ち物らしきものは見当たらなかった。
部屋は整然と片付いていて、この母親の部屋とて、ほったらかしにはされてはおらず、チリ1つないほど掃除が行き届いていた。
綺麗に片付いた母親ミイラの部屋。
それは異様なことな気もするが、今更何を異様だの、変だのと言ってみたところで、仕方ない気もしてきた。
だが不意に、ミイラ化した老婆の髪の毛の部分(少しだけ残っていた)の上に、俺は見覚えのあるものを発見した。
それは確か、あの藤川家の子供をさらってきた日、子供に買ってやったお菓子に入っていたおまけ…所謂、食玩ってやつだった。
アニメのキャラクターを模した、小さな人形みたいなものだったが、そんなものにまるっきり興味がなかった俺に、子供が、自分が欲しかったやつが当たった!と大はしゃぎして、見せびらかしてきたことを覚えていたので、紛れもなくそれは、あの子が持っていたものであると確信した。
つまり、栗本加代が子供を連れだし、しかもここで、ミイラになっている母親と子供を遊ばせていたということになる。
老婆のミイラの頭に、それが乗っかって残っているというのは、そういうことではないのか。
栗本加代は、あの俺のところに電話してきた誘拐人質野郎のリアルな共犯なのか。
これまでの流れからすると、そう考えるのが自然だった。
だってあの子は、加代と遊んでいて消えた。
そして、加代は気が狂ったことに、ここに子供を連れてきて、とっくに死んでいる母親のミイラと子供を遊ばせたのだ。
その後、連れ去って、電話してきたあの男とは共犯関係になり、どこかに潜伏し、子供と一緒に今いるのかもしれない。
しかしこの加代の交際関係がわからない。
プライベートでは、誰も、友達も男もいなかったらしいし、職場でも仲の良い者はいないと、あの人の良さそうな保母は言っていた。
犯罪の片棒を担ぐほどの恋人が密かにいたのか…?
または保母という立場を、犯人の男に見込まれて、金で動いているんだろうか?
こんなミイラ化した母親と、日々会話して生活し、同居し続けながら年金を受け取り続けていることの弱みでも握られて、嫌々協力させられたのかもしれない。
加代の素性は、幾らか調べたが、加代の線からは進めそうで、手掛かりがまるでなく、中々前に話が進みそうになかった。
こうなれば、あの人質横取り野郎からの連絡を待つしかなかった。
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