午後三時のシナモン

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 三月十四日。ホワイトデーの午後二時半頃。  以前から約束していたので、栞はアルバイト先の洋菓子店『La maison(ラメゾン) en bonbons(アンボンボン)』へ行った。従業員用の裏口で、上司のパティシエと落ち合った。  上司のパティシエは仁科崇人(にしなたかひと)といい、いつも身なりが正しい二十二歳の男性だ。接客中の愛想は最低限。  栞はバレンタインデー当日、この仁科に、手作りのチョコレートを渡していた。精一杯の告白も、すませていた。 「ごめんな東山」  仁科は神妙な面持ちだった。 「これだけ受け取ってくれ」  そう言うと、仁科は小ぶりなケーキ箱を差し出した。箱は無地で白い。  栞は青ざめた顔で、ホワイトデーの贈り物を受け取る羽目になった。 「どうした」仁科が栞の顔色を伺った。 「……今、ごめんなって、どういう」 「ラッピングできなかったから」  栞は無地のケーキ箱と、残念そうな仁科を見て、溜息をついた。 「それくらいで謝らないでください。このタイミングでごめんって言われたら……私、断られるのかと」 「ああ」  仁科は口を開け――視線を地面に落としてから、また口を閉ざした。なにか大切なことを言いかけたように見えたが、次に仁科の口から出てきたのは、平常どおりの言葉だった。 「まぁ、今は時間ないから。それ持って帰れ」 「はい。ありがとうございます」  栞は両手でケーキ箱を抱えた。そして仁科を見あげた。 「仁科さん、確認いいですか」  勤務中のような言葉を選ぶ。 「なんだ」 「私……即お断り、ではないんですよね? 仁科さんにとって」  仁科はすぐに「ああ」と頷いた。 「そうだったら、ちゃんと一か月前にふってるよ」 「言い方」 「ロスは最小限に抑えないとな」 「ひとの気持ちを時間が経ったケーキみたいに言わないで」  そんなやりとりをしていると、店から仁科を呼ぶ声がした。別のバイト員の声だった。  仁科は裏口を開けて、大きく返事をした。 「じゃあな東山。食べたら感想、聞かせてくれよ」  仁科は軽く笑って、店に戻っていった。    栞はもどかしい気持ちとケーキ箱を抱えて、帰り道を歩いた。空は厚い雲で覆われていた。 『そうだったら、ちゃんと一か月前にふってるよ』  ……この言葉からして、にぶそうな彼にも、自分の気持ちは伝わっているはず。  ホワイトデーに手作りのケーキをくれたことが、何よりの返事。  そう思っていいのだろうか? うぬぼれではないのだろうか?  生真面目なひとだから、相応のお返しになるよう手作りしてくれただけ。返事は先延ばしにされているだけで、やっぱりお断り。そんな可能性も否定できない。  バレンタインデーのときに告白したものの、ふたりの間の話題は好きなケーキは何かとか。製菓コースの課題だとか。休日に何をしていたかとか。以前と変わらない。  二十二歳の社会人にとって、十九歳の短大生は、恋愛対象に映らないのかもしれない。
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