午後三時のシナモン

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 栞は夕飯の時間まで、ペットと遊んだり、ペットの世話をしたりして過ごした。少しだけ学校の勉強もした。  ときおり手を止め、午後三時に食べたケーキの味を思い出した。そのたびに友人に連絡しようかと考えたが、結局、携帯電話には触らなかった。  家族で夕飯を食べたあとは、皿の片づけをした。そして入浴をすませた。風呂からあがって自室へと戻ったのは午後の九時前。ケージに戻したハリネズミは夜行性なので、まだ元気よく回し車で遊んでいる。  栞はベッドに腰かけると、枕を膝に置いた。それから充電していた携帯電話を手にした。 『仁科さん』と登録した連絡先を表示させると、ためらいがちに、発信ボタンに触れる。  五回ほど呼び出し音が響いたあとで、彼が電話に出た。 《――どうした》 「遅い時間にすみません。どうしても、今日中にケーキの感想を言いたくて」  栞は片手で枕を抱きしめた。視線は回し車のシナモンに置いた。 「その……。とっても美味しかったです」 《具体的には》 「えっと、スポンジもふわふわで。それから、チョコレート細工がきれいなだけじゃなくて、味も舌触りも最高でした。今度やり方を教えてください」 《あれは慣れの部分が大きいって》 「はい……」  会話に間が空く。栞は電話口の向こうから、駅前のざわめきを聞いた。仁科は帰宅前だ。  自分は風呂あがりで、肌が火照っている。 「仁科さん、確認いいですか」 《ああ》 「今ひとりですか」 《まぁな》 「ではもうひとつ確認を」  栞は頬を染めて、固く目を閉じた。 「ケーキに挟んであった、ハート型のアイシングクッキー。……嬉しかったです。あれは『ガレット・デ・ロワ』ですよね」 《良かった。割れてなかったか》 「はい。前に私が一番好きだって言ったこと、覚えてくれていたんですね」 《季節はずれだから、趣向だけな》  ガレット・デ・ロワは、フランスで一月六日に食べられている伝統のパイ菓子。  中にはフェーブと呼ばれる陶器人形が入っていて、切り分けて食べるときにフェーブに当たった者は、祝福を受ける。 「フェーブの人形のかわりに――その、ハートのクッキーを選んだのは」 《………》 「仁科さん。……私で、いいってことですか?」  シナモンの回し車の音、夜の駅のざわめき、固唾をのむ音を、栞は聞いた。  長い間が空いてから、息を吐いただけのような《ああ》という声も。 《まぁ、今は時間ないから。……俺でいいなら》  今度の定休日、どこかへ行かないか。  そう誘われた栞は、はい、と裏返った声で返事をすると、勢いよく枕に顔をうずめた。 (終)
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