一章:嘘を嗅ぎ別ける男

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 見えてきた井筒屋の店表。そこに二本差しの侍が立っていた。銀鼠の着流しがいなせに似合う男だった。歳は三十手前か・・睨むように井筒屋の暖簾を見ている。  陣笠問屋だ、武家が訪れるのも珍しくはなかろうが・・・母が古着屋をやっていた経験上、すぐにその侍の着ている服が、そんじょそこらでは手に入らない上等な物だと解った。  よほど長くそこにいるのか、店表を掃いている丁稚が訝しげにしている。  番頭の嘉吉が、胡乱げな目で出てきて、侍に何やら問うた。  侍の方は、随分と落ち着いた表情で受け答えしていたようだが、嘉吉の顔はますます歪む。  さらに上野の方角から、継裃を着た男達がどたどたと走ってきた。後ろには中間に籠かきまで連れて・・・何とも仰々しい。  裃を着た集団の、一番前を走る年かさの武家が、侍の前に立つと、呼吸も荒いまま、銀鼠の侍を無言で睨み上げた。  他の武家が籠かきを促して、侍をその中に押し込める。  年かさの武家は、手早く何やら二言三言嘉吉に言い置いて、彼の手に何か乗せる。こういう時の定番は山吹色の菓子か。  番頭の方はあんぐり口を開いたままだ。――そうして慌ただしい武家の一団は、まるで風のようにその場を去って行く。嘉吉は魂が抜けたような様で、その一団を見送っていた。  「・・・・・何だありゃ」  忠左は、疾う疾うと道の向こうへ消えていく一団を見やって・・そしてふと、つい先程まで隣にいた六松の姿が無い事に気が付いた。  辺りを探してみれば、何故か天水桶の向こうで身を縮こまらせている。  何をやっている、と聞けば睨むような目が返ってきた。
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