一章:嘘を嗅ぎ別ける男

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 井筒屋の中では、前回と同じ部屋で、鈴木が待っていた。相変わらず庭に佇む忠左を「遅い」と腕を組んで一言。  相済みません。と素直に謝罪。そして六松を部屋の中へと促した。  だが六松は、親分がここなら手前もここで。と譲らない。  茶を運んで来たお結が、六松の姿に目を見開いた。嘉吉は忠左が六松を連れてきてからこちら、あまり視界に入れないようにしている。 「何でソレがここにいる」  鈴木と向かい合わせに座る若者が、半眼で睨んできた。彼が弥吉だろう。ぱりっとした羽織姿で、すでに店を継ぐ者として、主として、この場にあるのだとその佇まいが示していた。  「若・・・旦那様、六松は叔父上様が亡くなられた時、離れにいた一人ですからして」  「子供が殺しの下手人でもあるまいに。目障りだ、出せ。」  弥吉の態度は随分と剣呑だ。六松に向けて、犬でも追い払うように手を振った。  六松はその場で、深々と頭を下げてみせる。  「あいすみません、旦那様。手前は今、忠左親分の元で手下をやっております。この場にも、親分の手伝いで参りました。」  お結と番頭が顔を見合わせる。弥吉の顔はさらに歪んだ。――――嘲笑だ。  「なるほど、岡っ引きか。それはいいな」    『岡っ引き』。――蔑称を明確にその意味で口にする。    「いいだろう、ならばいる事を許そう」  「ありがとうございます」   六松は静かに背筋を伸ばす。そうしてそっと肩をすくめてみせた。  随分な態度をぶつけられたというのに、六松に反感は見られない。傍で見ている忠左の方がもやもやとした。  慣れているのか、このような態度に。僅かに口の端だけ、それと解るか解らないかの感情が読み取れた。  ――諦め・・・あるいは憐憫。  「私も叔父上が亡くなり、急に実家を継ぐ事となって忙しいのです。なので、手早く参りましょう」  弥吉はそんな六松を、気にしようともせず、さっさと鈴木の方を見る。  まるで空気を、ぴし、ぱし、と切るような鋭いしゃべり方だ。町人としては珍しい。  あるいは、彼の境遇がそうさせるのかもしれない。  「単刀直入に申し上げます。殺しの犯人は私じゃありません」  「おぅ?」  「忠左親分、聞いていらっしゃいましたね。私は叔父上も、その妻子も、殺めてはおりません。関わりも一切ありません。」  また、ぱし、と空気を切るように。名指しされて忠左は驚いた。弥吉はまっすぐ鈴木を見ながら、その実この言葉は忠左にこそ向けられているのだ。――嘘を見抜くという、『倶生人』に。  なるほど、あの嫌な匂いは一切しない。  「鈴木様」  「おぉ」  「鈴木様としましても、手前が一番怪しいかと思います。何せ、父の井筒屋は叔父に乗っ取られたも同然でしたから。正直に申し上げれば叔父をこの手で殺してやりたいとは、何度も思いましたよ。むしろ、この手にかけられなくて残念ですね」  嘉吉の体が揺れた。だが、弥吉は番頭を一瞥もしなかった。  「鈴木様もすでにお調べでしょうが・・・。  この家で凶事があった頃、確かに手前は世話になっている店の、お得意様に品物を届けに出ておりました。 場所が両国橋の近くだったので、ついつい目が引かれて・・・遅くなったのも事実です」  疑うのも当然です。と弥吉は背筋を伸ばしたまま言った。  「それでも、手前はやっておりません」  やはり、臭いはしてこなかった。
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