三章:男達の奔走

2/27
87人が本棚に入れています
本棚に追加
/94ページ
 かくして、お初はその日も店にいた。瓜実顔に、抜けるような白い肌をした美人だった。雪のような顔に、ぽっってりと赤く小さな唇が乗っかっているのがなんとも色っぽい。ごく最近まで下唇を玉虫色に塗るのが流行ったが、忠左はあれが苦手だった。お初は上下共に赤い紅を入れている。   艶やかな髪は綺麗に桃割れに結われて、鮮やかな藍色の鹿の子で飾られている。前たれにこの茶屋の屋号を染め抜いていた。小袖の団十郎茶もよく似合っていた。  床机に座った男達は、皆団子をほおばり、茶をすすり、顔をだらしなく緩めてお初を眺めている。  忠左も忠左で、あっという間にのぼせ上った。忠左が知る女といえば、母親か長屋の嬶達だ。山の神とも称される長屋の女達は皆勝ち気で遠慮が無い。母のおけいは逆に弱すぎた。その点お初は穏やかで優しい一方、強引な客には一歩も引かない芯の強さもあった。  悪所通いの経験も無かった忠左は、お初のめりこんだ。  忠左は何とかお初の気を引きたかった。歪に肥大した自信が、それを後押しをした。  毎日茶屋に通い、お初に話しかける。口説く度胸までは流石に無かったが、それでも自分がどれだけ町の者に頼りにされている偉い目明かしかは、するすると口から流れでた。  お初はいつも笑って聞いてくれた。「そうですか、凄いですね」というありきたりなお為ごかしにも、忠左は舞い上がった。  もっとお初に認められたかった。お初の気を引きたかった。お初は誰にでも平等で、決して忠左だけを相手にしてくれたわけではない。  その日も忠左はお初目当てに山下を訪れた。活気に溢れた山下は、時間帯によっては先に進むのも一苦労だ。四文屋から何とも旨そうな匂いがしてきて腹が鳴った。調子の良い囃子は芸でもしているのかもしれない。どちらも心惹かれるが、やはり一番はお初の事だ。  昨日は鳶色の落ち着いた小袖を着ていた。今日は何色だろうか。以前見た花色の着物はよく似合っていたなぁ、と思いを馳せた。
/94ページ

最初のコメントを投稿しよう!