三章:男達の奔走

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三章:男達の奔走

 お初と忠左の出会いは、上野広小路を東に北上したところにある、山下広場だった。元々は火除け地として空き地になっていたが、そこに出店や出し物などが集まって、いつからか、かなりにぎやかな様になった。  お初はそこの出店茶屋で働く茶出し娘で、その美貌は美人画にも描かれ、番付では必ず名前が上るほどだった。  男達はこぞってお初の元に通い、度胸のある者は口説きもしたものだが、お初は誰にもなびかなかった。  いつもどこか憂いを秘めた笑みで、けれども動きはちゃきちゃきと。彼女の働く茶屋はいつでも繁盛していた。  忠左も例外ではなく、噂を聞いて「どれ、噂の美人小町を見に行ってやろう」と茶屋を訪れたクチだ。  その頃の忠左はといえば、父母ともに亡くなり、父が使っていた手下にも去られて・・・そこそこ腐っていた時だった。  ただ、商人はそういった心の隙間に付け込むのがうまい。忠左を持ち上げ、もてはやし、袖の下を放り込む。  忠左だって最初は渋った。父がそういったものを殊の外嫌っていたからだ。  だが、商人達の甘言に乗せられて――あれよあれよと袖の中は重くなっていく。  忠左はやりての同心、鈴木格之進の手下だ。鈴木と繋ぎをつけたい者、純粋に便宜を図ってほしい者、その心の裏は知れたものだが、忠左も忠左で腐っていた心に「貴方の力が必要なのです」なんで抵頭でもみてをされて、嫌な気はしなかった。  次第、忠左は袖の下を受け取る事に抵抗はなくなった。  ―――皆やっている事だ、俺だけがやっているんじゃねえ。  ―――むしろ俺は人を脅して奪うでもねえ。良心的だ。もっとあくどい目明しはいくらでもいる。だからこれは、俺の人徳に対する褒美なんだ。  その頃の忠左を、はてさて鈴木がどんな目で見たいたのかは、とんと思い出せない。  多分、無意識のうちに忠左は見ないようにしていた。解っていながら、目を背けた。  忠左は褒められ、持ち上げられ、有頂天になった。自信だってあった。俺はお上の命令で働く偉い目明しなんだぞ、と、周りからみれば失笑以外の何者でもないそれを、まるでお守りか大義名分のように抱え込んで、歪に肥大させていた。――本当は、自分は只の凡人である、と解っていたからこその歪さだった。自覚を、外側からのおためごかしで装飾しただけの、みてくれだけ派手派手しいはりぼて。  その忠左が、お初の噂を聞いて・・・どれ、いかほどのものかと、鼻穴かっ広げて足を運んだのだから、今の忠左ならば、穴があるなら入りたい心境である。
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