慎二

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慎二

「また明日な」 「ん……また、明日」  最後に交わした言葉。  その約束はいつ果たせるのだろう。  啓にヒートが来て、俺は啓を抱いた。  啓が苦しむのが嫌で、泣いているのが嫌で、啓が俺を求めてくれたのが嬉しくて。  啓とひとつになれた事が嬉しくて。  いつも強くてしっかりしていた啓が、αが怖いと泣いていた。何度も襲われたと言った。それはどれだけ啓を苦しめたんだろう。  啓が泣いた姿なんて子供の時から余り見た事が無かったんだ。  いつだって泣くのは俺で、啓はしょうがないなぁって言いながら俺の事を助けてくれていた。  そんな啓が泣いていた。  ずっと我慢して、誰の力も借りずにたった一人で耐えていたんだ。  そんな姿は俺の胸を締め付けた。  何で俺は気付かなかったんだろう。いつも一番側にいたのに。俺が気付いてやらなきゃいけなかったのに。  これからは俺が守りたいと思ったんだ。啓が泣かない様に、苦しまない様に。大事な幼なじみのお前をこれから俺がずっと……そう思ったんだ。  だから、啓を抱いたんだ。  その時の俺の中には祐介の存在が消えていた。  啓はヒートの間、とても泣き虫になった。  元々啓は泣き虫なのかもしれないと思う程沢山泣いた。  嬉しい、ありがとう、大好き、愛してる。  泣きながら、それでもとても嬉しそうに言ってくれたその言葉が嬉しくて俺も涙が出てしまった。啓は、慎二が泣いてどうすんの、と泣きながら笑っていた。 『項を咬んで』  その言葉は啓の全てをもらう事。βである俺でも知ってる大事な言葉。  俺はβだから、俺が咬んでも実際にはαとΩの様に番になれる訳じゃない。それでも啓は俺に咬んで欲しいと言ってくれたんだ。  αじゃない俺が、啓に求められた事が本当に嬉しかったんだ。嬉しくてαでもないのに啓の項をαの様に咬んだ。  正しく咬めたかどうかなんてわからない。今までそんな事関係ないと思っていたからやり方なんて知らない。ただ嬉しくて、愛しくて夢中で咬んでしまった。  俺はあの時啓の全てをもらった。身体も、心も。そう思っていた。  啓のヒートも終わって、シェルターをおばさんが開けてくれた時、啓との熱くて甘い幸せな時間が終わって残念に思った。  でも、これからは俺が啓を守っていこう。啓が泣かない様に側にいて大事にしようと思った。  自分の家に帰る時、俺は啓を抱き締めて、キスをして 「また明日な」  と言った。  明日からちゃんと啓を守って大事にしていこうと思ったんだ。 「ん……また、明日」  啓は涙を溜めて、でも嬉しそうに微笑んでくれたから。  その時、俺は明日が楽しみだったんだ。  でも、翌日啓はいなくなった。  また明日って言ってたのに。 「おばさん!啓は!?」 「ごめんない……啓はもう、いないの」 「いないって……じゃあ今何処に居るの!?」 「ごめんなさい……」  おばさんは泣きながらごめんなさいとしか言ってくれない。 「啓の願いを叶えてくれて……ありがとう。ごめんなさい……」  最後にまたごめんなさいと言われて玄関の扉が閉まった。  どうして……!?  何で啓はいなくなった?昨日また明日って言っただろ?何でそうやって何でも一人で抱え込むんだよ……!  頭の悪い俺には啓の気持ちが理解出来なくて、夜になって改めて啓の家に行っておじさんを問い詰めた。 「ごめんな慎二君。啓の願いを叶えてくれた事は感謝するよ。もう啓の事は忘れて幸せになってくれ」  返ってきた言葉は同じ、謝罪と言う名の拒絶だった。  謝罪で拒絶され、呆然としたまま家に帰った。それから数日は頭が真っ白で、何も出来ず何処にも出られなかった。父さんと母さんは何も聞かずにいてくれた。 「学校に行かなきゃ……」  もう啓のヒートが来てから十日程経っていた。啓がいなくなって三日。  結構休んでしまった。もう授業にもついていけないかもしれない。  ぼんやりとそんな事を考えながら鞄の中を漁ると奥の方にスマートフォンが転がっていた。見ると流石に電源も落ちていてウンともスンとも言わない。何となく充電し、電源を入れると 『学校に来たら連絡を』  祐介からのメッセージが入っていた。  そんなメッセージが以前ならとても嬉しかったのに、今はそれどころじゃなくて。  そうだ!  これで啓に連絡が取れる。話が出来る!何でいなくなってしまったのか聞く事が出来る!  俺は慌てて啓の番号を押した。 『この番号は現在使われておりません』  冷たい機械音だけが響いた。  啓への道は全て絶たれてしまっていた。  俺は祐介の事が好きだった。でも今は啓を大事にしたいという気持ちが大きくなりすぎて、祐介への気持ちがどれ程だったのかもうよくわからない。  祐介の事は好きだ。αなのに誰にでも分け隔てなく優しい姿勢が好きだった。学校で、βの俺に迄優しいαなんて俺は祐介しか知らなかった。  啓の事を好きで大事にしているのも知っている。だから祐介の前では敢えて啓一郎と呼ぶ様にして俺なりに気も使っていた。  俺は祐介を裏切っているんだろう。でもそんな事も思い出せない位に、啓とひとつになれた事が本当に嬉しかったんだ。その時は祐介の事を全く思い出せなかったんだ。  祐介の事が好きだと思っていた。けど、それがどういう気持ちだったかすらもうわからない。今はそれよりも啓の事を一番大事にしたいって思う。  啓は俺が祐介の事が好きだった事を知っていた。それなのに何も言わないまま俺が啓の事を、啓だけを好きだなんて……啓は俺を薄っぺらいヤツだと思うかもしれない。  祐介の想いを知ってるのに俺が啓を想うのはズルくて卑怯な事かもしれない。そんな俺だから啓は消えたのかもしれない。  もう、よくわからない。  明日ちゃんと祐介と話そう。  祐介に謝ろう。俺も啓の事が大事だとちゃんと言おう。  翌日、俺を見た瞬間祐介がキレた。  立てなくなる程に殴られた。 『お前なんかただのクズβのくせに俺のΩを好き勝手しやがって!啓一郎を俺の物にするためにどれだけ俺が我慢してたと思ってやがる!』  謝るなんて出来なかった。祐介は怒りに任せてただひたすら俺を殴り、蹴った。  初めて俺は祐介の中の、αの恐ろしい一面を見せつけられた。  それから学校では、祐介に会えば、物陰に連れていかれて殴られると言う日々が続いた。  その度に悟おじさんが昔言っていた言葉を思い出した。 『あのαの子には注意しなきゃ駄目だぞ』  啓もわかっていたのかもしれない。俺が大丈夫だと意地を張ったから、啓は俺に合わせてくれただけなのかもしれない。さりげなく俺を守ってくれていたのかもしれない。  でも今となっては答え合わせも出来ない。  啓が消えてしまったから。  啓との思い出を辿る様に学校に通い、通学路を通る。そして学校で祐介に殴られる。  そんな日々が続いた。  殴られてその場から動けなくなって授業に出られない日もあった。  祐介は目に見える所は絶対に殴らなかった。  表向きは本当に優しい男のままだった。だけど、俺を捕まえて人気のない所へ連れ出すと豹変した。  俺が好きだと思っていた祐介は、啓が怖がって泣いていた、啓を襲ったαと同じ生き物だった。  殴られた後は動けなくなって廊下で蹲っている事が増えた。  そんな俺を祐介以外の奴も面白がって殴る様になった。よく見るとそいつらは啓に告白した事があると噂されていた奴ばかりだった。ずっと啓の側にいた俺は格好の餌食だったのだろう。  それも暫くすると無くなった。  ボロボロになっても学校に通い続ける俺を見て、段々と気持ち悪りぃ、と近寄って来なくなった。  それでも祐介だけは別で、いつも容赦なく殴り続けた。  何度も殴られて痛いという感覚もおかしくなってきたのか、殴られても辛いものではなくなってきた。  殴られた分だけ、啓が俺のものと祐介にも思われているんだと考える様になってきて、その気持ちだけが俺を支えてくれていた。  両親の前では出来るだけ何でも無い様に振る舞っていた。  知られたらもう学校に行けなくなる。啓との思い出を辿れなくなる。  でもある日足をひたすら蹴られ、歩けなくなってしまって両親にバレてしまった。  もう学校に行くなと言われたけど、俺は無視して通い続けた。  流石に時々はしんどくて休んだけれど、行ける時には行きたかった。少しでも啓との思い出に縋り付きたかった。  その頃には祐介も飽きてきたのか俺を殴るのも数日置き位になっていた。いや、ただ数日分を一日に凝縮されていただけかもしれない。  いつもと同じ様に殴られていたら脇腹にボキリと言う音と共に激痛が走った。痛みで息が出来なくなった俺に祐介はふざけんないてーじゃねーか、と執拗にその場所ばかりを蹴り上げた。  気付けば部屋の中だった。  痛みで気絶してしまった俺の身体は全く動かず、翌日用務員に発見されるまでそのままだったらしい。家に連絡が行き、家に運ばれた。 「何でそんな事になってるの?」  母さんが泣いた。 「病院に行こう。学校なんて行かなくていいから」  父さんは苦しそうにそう言った。 「俺は、学校に行きたい……」  ただ一言そう言った。  でも、それは叶わなかった。  俺はそれから暫くの間、熱を出して動けなくなった。  二人とも病院に連れていこうとしたけど、それは頑なに断った。  病院に行ったら学校に行けなくなる。部屋にいられなくなる。それでは啓を感じられない。今の俺には学校と自分の部屋だけが世界の全てだった。  部屋にいれば啓を感じる事が出来る。ちょくちょく来ていた啓の残していった面影がここにはあった。  啓が面白いと持ってきてくれたDVDや本やゲーム、寛ぐ為に持ちこんだ部屋着やクッション。泊まる時用のパジャマだったり、啓の為に用意していた布団。  それらは全て啓との思い出が詰まった物ばかりで、外に行かなくても啓を辿る事が出来た。  熱が落ち着いてきたので学校に、と思ったら両親が退学届けを出していてもう学校に行けなくなっていた。  残念だとは思ったけど部屋で啓を感じられるからそれもいいか、と思った。  暫くして何故か俺の元に刑事さんが来た。  祐介の事を聞かれた。 「彼に何をされていましたか」「暴力を受けましたか」「どの様に、どれ位の期間続いてますか」  色々と聞かれたけれど俺は「俺が殴られる様な事をしたから」とだけ伝えた。  祐介が俺を殴るのは仕方のない事だ。俺が啓の事を奪ったと怒っているからなんだ。俺もそう思っていたくて祐介の暴力を受け入れてたんだ。  それが本当だったら良かったのに。  啓がいないから祐介も俺も気持ちの行き場がない。その捌け口が祐介にとって俺だっただけなんだ。  俺はもう学校を辞めてしまったし、祐介も違う捌け口を探すんだろう。祐介の事はもうどうでも良かった。  学校も辞めてしまってから俺は殆ど部屋の中から出なくなった。もうここだけが俺の啓を感じる場所だった。  殻に閉じ籠り啓を感じて嬉しくて、寂しくなる。  いつだって側にいたのに、温もりを感じていられたのに。  寂しい、会いたい、声が聞きたい、触れたい、触れて欲しい。  俺が浅はかだったから啓はいなくなってしまったんだろうか。あの時ちゃんと啓を守るからと言えば良かったのだろうか。  啓、俺に答えをくれよ。  もう何もしたくなくて、食事を摂る事すら面倒になった。  ただ部屋でぼんやりと過ごす日々が続いた。  あれからもう二年も経った。  啓が大事だと気付いて、啓がいなくなってしまって二年。  追いかける様に、おじさんとおばさんもいなくなってしまった。  段々と周りの啓の気配が消えていく。  俺の中の啓もいつか消えてしまうのだろうか。  啓はしっかりしているから、俺のいない所でもちゃんと地に足をつけて前を向いているんだろう。でも俺は弱いから、ダメな奴だから。啓がいないと前を向く事だって出来ないんだ。  会いたい。辛い。  俺がしっかりすればお前は帰ってきてくれるのだろうか。ちゃんと前を向いていれば。  でも、お前がいないと前も向けない。殻の中から抜け出せない。  懐かしい匂いがする……。  多分これは夢の中。  微かに啓の匂いがする……。  久しぶりに感じる啓の匂いが心地いい。  微かな香りは懐かしい香りも纏っている。  それは二年前にはいつも感じていた隣の家の幸せな香り。  そこで目が覚めた。  もう自分がいつ寝ていつ起きているのかも曖昧だ。  目覚めなくても良かったのに。ずっとあの香りを感じていたかったのに。  そう思いながらトイレに行こうと部屋を出ると、夢の中で感じた匂いを急に鮮明に感じた。  え……?  リビングからふんわりと流れてくるこの香りは紛れもなく今夢の中で感じたものだ。……さっきの香りは夢じゃない!? 「啓!?」  夢じゃない!この微かな香りは紛れもなく啓の匂いだ!!  何で!?うちにいるのか!?戻って来たのか!?会いに来てくれたのか!?  啓!啓!!  急いで階段を掛け下りようとするのに、俺の足は俺の気持ちについてきてくれない。ふらふらと力の入らない足をもつれさせながらも急いで階段を降りる。  少しでも早く香りのする所に行きたかったのに、俺は階段で足を踏み外してしまった。  そのまま身体中をぶつけながら下まで転がり落ちた。  啓!そこにいるなら待っててくれ。すぐ行くから。逃げないで……!  俺の意識はそこで途絶えてしまった。
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