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夕暮れ時、空に広がる雲が厚みを増し、曇天模様。 グランドの運動部が、夕立を警戒して、帰路につく。 しばらくして、ポツリポツリと雨の音。 僕は図書室にいて、雨音が騒音になるまで気がつかなかった。 「……傘、あったかな?」 窓を流れる大量の涙を眺めながら、急いで帰り支度。 思った通り、置き傘が一本あった。 びしょ濡れで帰らなくてよさそうだと、僕は少しだけほっとしながら玄関まで来て、不意に足を止めた。 「ああ、もう! 今日雨降るなんて言ってたっけ?!」 大きな独り言を叫んだクラスメートの女子、桜宮さんが、外を睨んでいるのを見つけた。 みんな帰ってしまったのか、玄関には僕と桜宮さんだけだった。 あまりおしゃべりが得意じゃない僕は、静かに佇んでしまう。 けれど、雨は弱まるどころか、激しくなるばかり。 外を睨んでいた桜宮さんは、玄関先まで出ると、今度は空を見上げる。 「絶対止まない、よね」 鈍より雲から落とされる無数の水滴は、容赦なく大地に注がれ、大きな水溜まりを描く。 しばらく空を眺めていた桜宮さんは、「よしっ!」と、気合いを入れ、スカートを少しだけ持ち上げて見せた。 たぶん、雨の中に出ていくつもりだ。 一呼吸して、桜宮さんは決心したように一歩踏み出して、止まった。 いや、正確には僕が止めた。 桜宮さんに影ができ、雨が弾ける音が響く。 「えっ……」 雨の中に飛び出したのに、雨に触れず、桜宮さんは驚いて振り返った。 「……良かったら、使って」 小さく声を出した僕は、自分の傘を桜宮さんに差し出した。 女の子が持つには地味で、冴えない紺色の傘。 突然差し出された傘に驚いたのか、それとも僕に声をかけられたことにびっくりしたのか、桜宮さんの瞳は、大きく見開いていた。 普段会話なんてしたこともなかったけど、びしょ濡れで帰る女の子を見捨てられるほど、僕は気が強くない。 バサッ 少しだけ強引に差し出した傘を、なんとなく受け取った桜宮さんの隣で、僕は上着を脱ぐ。 無駄だと分かっていても、少しくらい雨を防ぎたい。 脱いだ上着を頭から被り、今度は僕が空を見上げる。 グレーの雲から大量の雨漏り。 空から落ちる水滴は、どうやらまだまだ底には到達しなそうだ。 『行くか……』桜宮さんのように気合いのある声は出ず、僕は心で諦めの決心を決めた。 とにかく走る。 これだけを胸に雨の中へ ―― ポツ、ポツ、ポツ ―― 踏み出した僕の頭上に、響く音楽。 「駅まで一緒だよね」 紺色の傘がくるりと回った気がした。 「あ、うん」 「じゃあ、駅まで一緒に帰ろう」 「……いいの?」 「あなたの傘でしょ。……可笑しい」 自分の傘なのに遠慮なんかして、変なのって、桜宮さんは笑った。 僕はなんだか恥ずかしくなって、ちょっとだけ目を伏せてはにかんだ。 どしゃ降りの雨。 僕は傘を受け取り、真ん中に。 二人で雨避けの下を潜ると、壮大な雨音が耳を塞ぐ。 「雨、すごいね」 「そうだね」 「居残りだったの?」 「ううん、本読んでた」 「図書館?」 「そう、夢中になってて、雨に気づかなかったよ」 空が泣きそうだって分かったら、もっと早く帰っていたと、僕は苦笑。 「私は、科学のアレに面倒頼まれてた……」 ちょっとだけ頬を膨らませた桜宮さんは、帰りに科学の先生に捕まって雑用を押し付けられたから、どしゃ降りに遭遇したと不機嫌に話した。 けれど、桜宮さんはすぐに微笑んで、 「でも、そのおかげで濡れずにすんだ。……ねっ」 まるでウインクでもするように、僕を見る。 普通に帰っていたら、今頃駅に着く前にずぶ濡れだったかもと、僕に会えてラッキーだったと話してくれた。 「僕も嬉しい、かな」 女の子と一緒に帰れるなんてね。 傘を少しだけ桜宮さんの方へ寄せて、僕は鼻の頭を軽く掻く。 駅まで700メートル。 僕たちは、雨音を聞きながら、たわいもない雑談を楽しみながら、駅に向かう。 冴えない紺色の傘は、空から降る無数の音符を受け止めて、虹のような雨音メロディーを奏でていた。           おわり
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