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いたずら妖精が望むもの
ふと、壁の時計が目に入る。
「あの時計、おかしくないか」
「時計ですか」
黒髪の使用人は不思議そうに時計をみて、あ、と声をあげた。
「また、とまっていますね。申し訳ございません。すぐに直させます」
「これで何度目だろう。気味が悪いな」
この頃、家の時計がとまっている。それも決まって3時をさした状態でとまっている。応接室の壁にかけてある時計、廊下にある時計、寝室の時計。我が家のあらゆる時計の針が動くことをやめてしまう。
その都度、時計を直させているのだが、直したところからまた壊れる。
一度に全て壊れることはないが、あっちの時計が壊れて直す間に、こっちが壊れるといった具合だった。
「一体どうなっているんだ」
「いたずら妖精のせいかもしれませんね。ほら、裕福な家にはいたずら妖精が住みつくものだって、この辺りではよく言われていますよね」
「馬鹿なことを言わないでくれ。そんな迷信など……」
使用人は困ったように笑った。
「申し訳ございません、気の利いたことが言えず」
恐らく私に気を使って笑い話にしようとしてくれたのだろう。しかし私は答える気にもなれなくて、右手を挙げて返事とした。
そこに、パタパタという足音が聞こえてくる。
「お父さま、どうしたの」
「リリー、おはよう。ご挨拶は?」
ドレスを揺らして走ってきた娘はあわてて立ち止まり、ドレスの端を小さな手でつまんで持ち上げた。
「おはようございます、お父さま」
「うん、おはよう」
「ねえお父さま、今日のお茶会は? 今からする?」
「まだ朝だよリリー。昼になったらテラスに行くから、それまでお勉強をしていなさい」
リリーは残念そうに口をとがらせた。
私はリリーに背をむけて、執務室へと足を向けた。
静かに執務室の扉をしめた使用人は、今日のスケジュールをすらすらと述べる。
「ありがとう、もういい。書類だけおいてさがってくれ」
「かしこまりました」
一人になった部屋で、書類に目を走らせる。サインする物にはペンにインクをつけて手を動かし、時々熟考しなければならない物には頭を悩ませる。そんなことをしていると、いつの間にか昼になり、使用人が扉をノックした。
「午後からご主人様にお会いしたいと、例のご子息から連絡がございました」
「何時からだ」
「3時半からでございます」
「わかった。返事をしておいてくれ」
「かしこまりました。――昼食はこちらでお召し上がりに?」
「そうだが、なにか?」
「たまには外での昼食などいかがかと。気分転換にもなりますよ。本日はお嬢様もお庭で昼食を召し上がっていらっしゃいます」
窓から外をみれば、使用人に囲まれてサンドイッチを食べるリリーと目が合った。照れくさそうに微笑む彼女は、小さく手をふってよこした。
たまには娘と昼食をとるのもいいか、と思ったが、目の前にある大量の書類の束をみてしまうとため息がでる。
「――いや、ここで食べる。仕事がまだ終わらなくてな」
使用人は恭しく頭をさげると一度退室し、数分後に昼食をもって戻ってきた。
「また暫く一人にしてくれ」
「では、3時ごろにお声掛けいたします」
先程リリーが食べていたサンドイッチと同じものが、皿に盛られていた。昼食をとりながら、机の上に置いてある書類を眺める憂鬱な時間を過ごした。
時々窓の外をみれば、使用人たちと談笑する娘の姿がみえていたが、いつの間にかその姿もなくなっていた。
3時ごろ、再び執務室の扉がノックされた。
「ご主人様、お茶会の時間でございます」
「ああ、もうそんな時間か。すぐに行こう」
毎日3時に、私は娘との茶会の時間をとっている。とくに大したことをするわけではないが、ともに菓子を囲んで私はコーヒーを、娘はジュースを飲む。私は仕事が忙しく、なかなか娘と接する時間も取れない。まともに会話ができるのは、この茶会の時間くらいなものだった。
「お父さま、お仕事お疲れ様です」
「ありがとう。リリーも勉強頑張ったのだろう。今日は何をしたんだい」
「ピアノとダンスの練習だよ」
ああ、そういえば執務室までピアノの音が届いていたかもしれない。ずっと前に彼女のピアノを聴きにいったときはまだ一曲まともに弾くこともままならなかったが、今ではだいぶ成長したらしい。
「ピアノ、楽しいかい」
「うん。お父さまにも聴かせてあげる」
「ああ、時間がとれたらね」
「いつ聴きにきてくれるの?」
「うん――、いつがいいかな」
このところ仕事が立て込んでいて、なかなか余暇に時間を使うことができない。明日、明後日はもうスケジュールが埋まっているし、来週のスケジュールは――。
「すまないリリー、しばらくは時間が取れそうにない。また時間がある時に聴かせてくれるかな」
「……そっか、うん分かった」
「そういえば、いたずら妖精の話をリリーは知っているかい?」
「裕福な家には妖精が住み着いて、いたずらするってお話? 知ってるよ」
「そうかい。どうやら我が家にもいたずら妖精が住み着いているらしい」
「ほんと?」
リリーはキラキラした目で私を見つめた。
私は迷信などに興味はないが、この年頃の子どもはその手の話が好きらしい。
「妖精さん、どんないたずらするの?」
「ああ、最近時計がね……」
3時をさしてとまってしまうのだ、と言う前に使用人が入ってきて話は中断した。
「ご主人様、少々よろしいでしょうか」
「どうした」
使用人は深々と礼をした。
「申し訳ございません。朝にお話した件ですが、3時半からの面談のお方がもうお着きになったようで」
「そうか、随分早いご到着だ」
懐中時計をみれば、まだ時間の15分も前だ。
リリーが不安そうにこちらを見つめる。
「……仕方ない、すぐに行こう」
「お父さま、もう行っちゃうの。この前もすぐお仕事戻っちゃったのに、また?」
「すまない。続きの話は明日のお茶会で聞かせてくれるかな」
「……うん」
リリーが肩をおとす姿をみると心が痛むが、こればかりは仕方がない。
「すまないね、リリー。また明日」
「うん、行ってらっしゃい」
それからも代わり映えのしない、仕事ばかりの日々を過ごした。
「ああ、またか」
今日も時計はとまっている。いつもと同じ、針は3時を指していた。
もう慣れたもので、使用人に時計を修理するよう伝えて、執務室に向かう。使用人も困ったような顔をするばかりだった。
時計が壊れることも、すっかり日常の内のようになってしまった。
しかし、そんなある日、私は時計がとまる原因を知った。なんらいつもと変わらない、穏やかな午後のことだった。
「リリー、何をしているんだい」
「お父さま……」
時計の前。
娘の姿があると思えば、彼女は時計の蓋を開けていた。時計の内部の大小さまざまな部品が露出している。
あわてて手を体の後ろに隠したリリーはきょろきょろと視線をさまよわせた。
「リリー、何を隠したんだい。見せてごらん」
「私、何も隠してない」
「嘘をつくのはやめなさい」
リリーの肩がびくりとはねた。大きな目に涙がたまっていくのを見ると、なんだかとても悪いことをしてしまった気になって、娘の目を見れなくなった。
「手の中にあるものを、みせてくれるかい」
リリーはおずおずと手を私の方にむけ、固く握られていた手のひらの中を見せた。小さな手のひらには、時計の部品が乗っていた。
「リリー、君がいつも時計を壊していたのかい」
「ごめんなさい」
涙がポロポロとこぼれる彼女にどう接すればいいのか分からない。困って娘から視線をはずすと、使用人と目があった。困ったようにこちらを窺っていて、妙な空気が漂った。
「どうしてこんなことをしたんだい。何度も何度も、時計を壊すだなんて」
「だって、お父さまがゆっくりできないから」
「私が?」
リリーはこくこくと頷いた。
「3時のお茶会だけはお父さまもゆっくり私とお話してくれるのに。お仕事忙しいから、最近はお茶会もすぐ終わっちゃうし。3時のお茶会がずっと続けば、私もお父さまとずっと一緒にお話できるのに」
「それで、時計を3時のままとめていたのかい」
「ごめんなさい」
しゃくり上げるリリーになんと声をかければいいのかが分からなかった。私はとても不器用だから。
ただ、リリーを叱ることはできなくなった。
「リリー、部屋に戻っていなさい」
使用人に目配せすると、彼はリリーの背中をおして歩き出した。何度か振り返りながら私の顔色を窺うリリーの目を見ることができなくて、私は背を向けた。
時計が壊れるのは、元はと言えば私のせいということになるのだろう。娘は私が仕事で忙しかろうと、駄々をこねることはなかった。だから安心してしまっていた。
しかし、あの子もまだ幼い子供なのだ。
私はひどく自分が恥ずかしくなった。
翌日、廊下でリリーに会うと彼女は落ち着きのない様子で、ドレスの裾をつまんで挨拶をした。
「お父さま、時計のこと、ごめんなさい」
「ああ。もうこんなことはしないように」
「はい」
「それで、リリー。朝食はもう食べたのかい」
「ううん。まだ」
「……では、一緒に食べてはくれないか」
私の言葉に、リリーは大きな目をパチパチと瞬いた。
「いいの? まだ3時じゃないよ? お父さま、忙しくない?」
「いいんだ。私もリリーとお話がしたいから」
ぱっとリリーの表情が華やいだ。
「ほんとに? 一緒にゆっくりできる?」
「ああ」
使用人をみると、彼は微笑んだ。私はなんだか居心地が悪くて視線をそらした。
「朝食を用意してくれ。私とリリーの二人分」
「かしこまりました」
「さあ、リリー。行こう」
「うん」
娘が伸ばしてくる手を握って、歩いた。少し照れ臭いが、リリーが喜ぶのならばこれでいいだろう。
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