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プロローグ
高校一年の冬。
日が落ちるのが早くなり、肌寒い季節になった。
そろそろ冬休みという事もあって、生徒たちは浮足立っている。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
その音と共に、生徒の大半は教師の終了を待たずに雑談に興じ始める。
「あーおわったー。マジだりぃわ」
「この後どうする? マック行く?」
「あ~わりい、俺金ねぇからパス」
「ウケる、お前もう金ねぇのかよ」
「うるせえ、先週新作出たから買っちまったんだよ」
そんなありふれた会話。
そんな中、いまだに黒板を見つめ、書ききっていない部分をノートに取る男子が居た。
周囲は髪を染めている比率が多いなか、珍しくもあり、もっとも学生としてふさわしい色合いの黒。
やや細身ではある物の、貧相という印象は浮かばない少年の名は、日傘凛太朗。
小柄、真面目、大人しい、集団があれば必ずいる外円部の一人。
それが彼だった。
ワイワイと盛り上がり、席を立つ生徒のせいで黒板が見えづらい事に若干ムッとしつつも、隙間から覗くようにしてノートをとる。
すると一人の男子が突然黒板消しで、書かれた内容を斜めに消し去った。
「うぇーい!」
「あ」
思わず小さく声が出る。
まだ終わってないのに。
そんな彼の声が届いたのか、黒板を無造作に消した調子のよさそうな茶髪の男子がこちらを見る。耳には何やら大きなピアスがいくつか開けられており、いかにも不良という見た目だった。
「あっれー? りんちゃんったら、まだメモってなかったの―? だめだよぉ~そんなんじゃ」
「はは……そうだね」
その妨害をした張本人に思わず文句を言いたいが、黙ってノートを閉じる。
彼の名前は畠中圭介と言って、調子の良い人間だが、自分に刃向かう奴に対してはとことん絡んでくるめんどくさい人間である事を凛太朗は知っていた。
悔しいが、かえって教科書を見て書いてる途中を見直せばある程度保管できる筈と考え、凛太朗は大人しく引き下がった。
すると、既に凛太朗から興味が失せたのか先ほどの男子は別のターゲットの所へ向かった。
「おーう、藤井お前はちゃんとノート取ったよなぁ?」
「え……あ、その……最後の方がちょっと……」
オドオドとした口調で答えるのはクラスメイトの藤井健彦。
漫画やゲームを好む、クラスに一人はいるオタクっぽい男子だ。
見た目はやや小太りだが、特別肥満という印象ではない。
ただ、彼の先ほどからの性格が畠中にとって引っかかる物だったらしく、クラスが決まってからすぐ今のような光景が始まっていた。
「あぁ!? テメェ何してくれてんの? 黒板消えちゃってんじゃん。お前のせいで俺のノート不完全じゃん。どうしてくれるわけ?」
「え、でも消したのは畠中くんで……」
「知らねぇよ! お前がもっと早くノートをとればいいんだろが! 言い訳すんなボケ!」
そう言うと同時に、ガコンと机が揺れる音がする。
音を聞いて凛太朗は見ずとも、机を蹴りあげたのだと理解する。
その周りから数名の男子の笑い声が聞こえる。
顔を向けず視線だけ向けると、そこには畠中以外の男子の姿があった。
茶髪で日に焼けた男子は田淵康信。サッカー部のエースで、女子からモテている一人。
ただその性格はかなり陰湿で、自分の評判が悪くならないよう直接藤井を虐める事をせず、畠中を囃し立てて助長させる事を得意としてる男子だ。
今も彼は「おいおい、やめとけよー。お前に凄まれたらビビっちまうってー」と、止めるふりをしながらも畠中のヨイショをして調子付かせている。
そして田淵の隣でニヤニヤと藤井を見下ろすのは、やや細身で金のメッシュが入った加賀美城太郎だ。
田淵や畠中に比べて小柄な加賀美は、藤井とクラスが一緒になる前まで二人に虐められていた。だが、現在のクラスになってから自分より下位者がいるとわかり、彼は虐められる側から虐める側へと変わった。
SNSなどでは、虐められた人は常に「いじめは良くない。やめよう」といった発言をするが。彼の場合はその逆。
喜々として今もなお、クラスのヒエラルキー下位者に対してトコトン強気に責めている。嘗ての自分がそこであったのを忘れたかのように。
「ちょっと」
声が響く。
藤井の物でも畠中の物でもない、別の声だ。
更に言えば男ではなく女子の声。気になった凛太朗は視線だけをちらりと向けると、そこには日に焼けた女子が一人立っていた。
彼女の名前は大久保絵里、少し前までは陸上部のエースを期待されていた子で、非常にはっきりした性格の女子だ。
凛太朗は過去に彼女と会話したことあるが、その時に比べてかなり元気になっているように感じた。
「んだよ、お前には関係ねぇだろ」
畠中は僅かにバツが悪そうに噛みつくが、大久保はフンと鼻を鳴らして黒板を指をさす。
その意味が分からないのか首を傾げる畠中に大久保は続けた。
「アンタが勝手に消したせいで、途中だった最後の部分メモ取れなかったんだけど、どうしてくれるわけ? テスト範囲だったんだけど?」
どうやら彼女も凛太朗と同じ被害者のようだった。
ただ、自身とは違いハッキリと畠中本人に告げるあたり、性格の違いを感じた。
「知らねぇよ、俺のせいじゃ」
「アンタが消したんでしょうが、他に誰のせいだってのよ」
「うっ……」
剣呑な雰囲気が漂うと、別の人物が割って入る。
「まあまあ、絵里もそう怒らないでよ。彼だって悪気があったわけじゃないだろ?」
そう告げて口を挟んだのは高宮結城だった。
金髪に染めてはいるが、その授業態度は至って真面目、家庭問題が原因でグレたのではと噂されているが、あまりにも態度が真面目な為学校生活でもさほど問題にならなかった。
ただ、凛太朗は彼の言葉を聞いて内心呆れた。
(悪気が無かっただって? 明らかにノートをとっている人間がいるのを分かった上での行動っただろ? それを見てなかったのか?)
現に、ノートを消された際に凛太朗の小さな声にすら彼は反応した。自分のやった悪戯のリアクションを目ざとく拾ったのだ。
あのタイミングで消せばきっと誰かが困るとわかって。
そもそも、私語が溢れる教室で凛太朗の「あっ」という小さな声だけをしっかり拾うには、最初から注目してなければ出来ない芸当だ。
その事を思うと凛太朗はさらに不満が募るが、下手に事を荒立てる意味もないと思い言葉を飲み込む。
すると高宮のフォローを受けて畠中は大げさに頷いた。
「そうだぜ? 俺は黒板を消してやろうかなーって思ってやっただけだよ。まだ終わってない奴がいるとは思わなかったんだ」
「ふーん?」
「ほら、絵里もさ、畠中もこう言ってる事だし」
(こういってる事だしって、ただ言い訳してるだけじゃないか。誤ってるから許そうみたいな言い回しは変だろ)
先ほどからズレたフォローをする高宮に若干の苛立ちを覚えながら、凛太朗は見守る。
「そ、なら消した部分直してよね。メモ取りたいから」
「え?」
「え? じゃないわよ。アンタが勝手に消したんだから、アンタが戻すのは常識でしょ? 消したって事は自分はもう終わってたんでしょ?」
(うまい)
思わず心の中で手を打った。
大久保の言葉に畠中は目を泳がせる。
彼の視線は藤井の取り掛けのノート。それを見て舌打ちをする。先ほどの会話で分かっている事だが、畠中はノートをとっていない。
藤井のノートを写すつもりだったのだ。
だがそれも、彼がやった悪戯のせいで半端で終わっている。
そもそも彼は一体何をしたかったのか、ノートを取らず、他人にやらせ、その他人すら終わっていないのに黒板を消し、今に至る。
完全に一人で自爆してるだけである。
「ほら、早くしなさいよ」
「うるせえ! 知らねぇよ!」
逆切れである。
この瞬間、彼の言葉に大久保はしてやったりと言った顔をしてその場を離れた。
「まあいいわ、私は由紀から見せて貰うから。由紀~~あのバカが黒板消してメモ取れなかったから見せてー」
わざと聞こえる様に駆け寄った先には、先ほどの騒動でも黙っていた一人の女子の元へ向かう。
それを盛大に舌打ちしながら見送る畠中。そしてその左右で各々の表情を浮かべる田淵と加賀美。
一人はニヤニヤ、もう一人は何やら不満そうに。
…………。
静まり返った教室から、逃げるようにクラスメイト達が出ていく。
授業も終わっている為、次の移動教室の準備に向かったようだ。
まだ休み時間まで時間はあるが、この重苦しい時間に波多江らえなかったようだ。
残ったのは自分を含め、十数名。
藤井とその周りで苛立った雰囲気を出し続ける畠中達。
そして彼らを宥めようとする高宮。
その高宮を遠目から見つめる女子グループ数名。
きっと彼らは畠中の追っかけだ。
彼は顔が良いから、女子の人気が高い。
ただ、同じ男子である凛太朗からすれば、完全にいけ好かない男である。
あたかも自分が場を持っていると言わんばかりの態度。そのくせ引っ掻き回すだけの勘違い野郎。これが凛太朗の高宮に対する認識だった。
「日傘君」
突然声をかけられ驚く凛太朗。
誰だと思い振り返ると、そこには先ほど畠中相手に啖呵を切った大久保と、彼女が駆け寄った女子――兵頭由紀の姿があった。
黒く艶やかなストレートヘアー。
腰まで伸びた髪は毛先まできれいに整って居り、手入れがしっかりとされていることが分かる。
スッとしたクールな顔立ちの彼女は、まさに委員長といえる印象を持っていた。
(眼鏡委員長の対を成すクール系委員長だなぁ)
そんな事を思いながら、何とか平静を保ちつつ答える。
「兵頭さん? どうしたの?」
普段かかわりのない彼女から、何故自分が声をかけられたのだろうと、内心驚きつつ見つめると彼女は僅かに笑みを浮かべて答えた。
「さっき、畠中君がメモを取れてないって言ったでしょ? 良かったら一緒に写す?」
そう言ってノートを開いて見せてくれた。
どうやら先ほどの一連のやり取りを見て、声をかけてくれたらしい。
「ほらほら、遠慮せんと一緒に取ろーよ」
大久保もそう言いつつ、近くの机を掴みガタガタと合わせるように動いた。
(たすかった。正直最後の部分を教科書から絞り出すの面倒だったんだよね)
そう思い、凛太朗はお礼を言って見せて貰う事にした。
机を動かし、互いに向け合うと、大久保も一緒にノートの空きを埋めていく。
ついでに重要と思われるポイントなどを兵頭から聞いて、メモを取る。
遠くから舌打ちが聞こえる。
方角からして畠中の集団だ。
「おら、ノートどうすんだよ!」
八つ当たりとばかりに藤井に絡む畠中。先ほどまで彼らを宥めていた筈の高宮はいつの間にか自分の席についている。
(さっきは意気揚々と間に入ったのに、今度は知らんぷりか)
凛太朗は眉を寄せながらも、ノートを書く事に集中する。
それでもため息が漏れる。
「最低ね」
正面からそんな声が聞こえ、凛太朗はドキリとする。
まるで、この現状を文句言いつつも、藤井の援護をしない自分への言葉だと思えたのだ。
ただ、彼女を見ればその視線は畠中達に向いていた。
どうやら彼らの振る舞いに腹を立てているようだ。
しばらくその様子が続いていたが、我慢の限界を迎えた瞬間。
「ちょっと、貴方達いい加減に――」
彼女が言いかけた瞬間、突如として教室が発光した。
「きゃっ!」
「わああ!」
「なに!?」
クラス全員がそれぞれの声を上げる。
凛太朗はまぶしさのあまり顔を覆いながらも、咄嗟に近くに居た大久保と兵頭の手を取った。
別に守ろうという意思があったわけではない。なぜか脳裏に「手を掴まなくては」という想いが湧きたったのだ。
しっかりと掴むと、当人たちから驚きの声が上がる。
「二人とも、手を離さないで!」
「え!?」
「日傘く――」
兵頭の声が響いた直後、凛太朗の意識は途絶えた。
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