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フリマ様
「フリマ様」 青野ミドロ
最初から違和感はあった。
産まれたての息子がすくすくと大きく育つに従い、サイズの合わなくなったベビー服やベビーベッドなど不用品がどんどん出てくる。それをフリマアプリで格安で売っていたところ、なぜか息子に関する商品ばかりが即完売してしまうのだ。
息子が四歳になったので、不要になったベビーカーを売ることにした。ただ思い入れもあった分、それを価格に上乗せして、実質定価と変わらない価格で出品してみた。しかしそれも即行で売れた。
試しに思い出にとっといたよだれかけや乳幼児用食器類、帽子や靴を定価の十倍で売ってみた。するとそれも即決で完売となった。
息子が五歳になって初めての四月一日。母親は冗談で、息子がちんした鼻紙をオークション形式で出品してみた。世間ではエイプリルフール、ネタ出品が多く話題にのぼっている日、それに便乗したに過ぎない。
だが、その鼻紙はなんと五万円で落札されたのだ。「えっ嘘でしょ?」母親は瞠目した。
その事実を近隣住民に話したところ「あら、すごいわね。エイプリルフールネタに便乗する購入者もいるってことじゃないの~」と言下に答えた。
過去に十倍の値段設定で売れたことに関しては「それだけ物好きな人間って世の中にいるんじゃないの? ま、あたしはどんなに安くても中古は買わないけどねえ」と返された。
味を占めた母親は、今より規制が緩いフリマアプリに舞台を変えて「息子の鼻くそ」「息子の目垢・耳垢」「息子の髪の毛ひとふさ」をオークション形式で売り始めた。いずれも五万円以上の高値がついた。母親は笑いが止まらなくなった。
極めつけは昆虫採集キットにあった注射器で抜き取った「息子の血液五〇㏄」が一千万円で売れたことだった。その日を境に母親はとうとうパート通いを辞めた。働いて稼ぐことが馬鹿馬鹿しくなったからだ。
六歳の息子が「水泳を習いたい」「ピアノを習いたい」と申し出たが、母親はいけませんと断った。
「水泳で溺れたらどうするの。ピアノの稽古に行く途中で事故に遭ったらどうするの。あなたの血液や鼻水や耳垢は儲かる金の卵なんだよ。あなたはひたすら健康に気をつけて生きればいいのよ」
そう言われ最初はぐずっていた息子だったが、自分が特別な存在であることを再三刷り込まれると、悪い気分はしなかったので、次第に母親に従順になっていった。
こうして、なんのとりえもない息子が何の才能も磨かず、何の努力も課さずして成長していった結果。息子は大学卒業後、無職のニートになりさがった。上司に怒られることも友人や恋人におべっかを使われることも嫌がった息子は、働かずひきこもりになった。
日々お菓子を食べてはゲームをして、好きな深夜アニメを視聴する暮らし。
しかし金だけは腐るほどあるので、アニメグッズやフィギュア置き場専用のコレクション専用の部屋を設けるほどの広さをもつ豪邸に引越していた。
相変わらずフリマアプリでは彼の鼻水や髪や血液が超高値で売買されているので、彼のアカウントは知名度が上がり、やがて世間からフリマ様と呼ばれるようになった。
「今の暮らしが永遠に続くといいな」そう思った息子は、事実五十歳になるまで結婚もせずにこのスタンスで生きた。
やがて五十歳の誕生日の前日、母親宛てに一通の封書が届いた。息子が産まれた頃に亡くなったお婆ちゃん、彼女の親友宅の娘からだった。
つまり母親にとって「オカンの友達が産んだ娘」が書いた手紙だった。
「五十年前、あなたのお母さんは私の家で脳梗塞を発症し、一時間後に亡くなってしまったそうですね。実は発症してから悪化するまでの数分の猶予に、彼女はあなた宛てに遺書を書いていたのです。その遺書をお渡しするために今回お便りしました。これまで五十年間、お知らせする機会がこんなに遅くなってしまったのは、あなたの母と親交があった私の母が認知症の初期症状だったため、遺書の存在を忘れていたからであります。その点重ねてお詫び申し上げます」
母親は同封された遺書を読んでみた。つまり母親にとって「オカンからの遺書」である。
「娘へ。私はあなたに与える十分な遺産というものがありません。なので、私がかぶれていた宗教、モンターナ学会にそのことを相談しましたら『お前は教祖の私をかつてAEDで助けてくれた恩がある。その恩に報いよう。私の生まれ変わりが、お前の孫であることを我が学会で公表する。その子は五十になるまでになんらかの奇跡を起こす人になろうと予言するので、それまでにあらゆる手段をもって大成せよ。資本金については案ずることはないだろう。我が学会では次なる教祖候補に対して金を惜しまず投資してくれる人間はごまんといるのだから』ということです。どうか、立派な息子を育ててくれるよう切に案 じ ま」
遺書は「案じま」で途切れていた。そこで力尽きたのだろう。
母親は顔面が蒼白になり、別室で豚のように寝転がってアニメを見ている愚息の姿を思い浮かべた。
母親が亡くなった彼女の遺志を継いで頑張るべきだった五十年。その月日はあっという間に経ってしまい、今日はその五十年目きっかりを無策のまま迎えてしまった。
今から奇跡なんか起こすような才能も努力も悪賢さも身についていない。ではどうする? 悩んでいる間に、時計の針は0時を回り、同時に突然、玄関からチャイムの連打される音が聞こえてきた。「えっなになに?」母親は事情を話す暇もなく息子を強引に連れ出し、地下のフィギュア専用部屋に幽閉し、内側からは絶対に開けることができない鍵をかけた。
やがて玄関を壊して家に雪崩れ込んできたモンターナ学会の信者たちは、息子の奇跡を目の当たりにすべく息子を求めてそこらじゅうを隈なく探した、が、見つからず、今まで投資したぶんの鬱憤もあったのか、母親を監禁しはじめ、そこに居座ってしまった。
そして信者がとうとう発見できず、しおらしい姿勢で諦めて立ち退いたのは母親監禁から一ヶ月後であった。
ようやく自由の身になった母親が幽閉していた鍵を開けるとそこには、
豚みたいな面影も消え、食事も与えられずに痩せ細り餓死したフリマ様の姿があったのだった。(了)
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